1月17日、神戸

1月はほぼシューカツネタにするつもりだったが、今日ばかりは別のことを書かせてほしい。なのでシューカツ生でここを開いた方、よろしければ旧ブログでのストック分「シューカツへの応援歌(外部リンク)」にどうぞ。


 

寝起きの悪い私だが、この日はいつも5時45分に目覚める。なんか体が揺れたような感覚があり、目が開いてしまうのだ。それから、目ざまし時計を見て、あと1分間じっとしておこう、と思う。18年前の朝も全く同じだった。

 

当時、私は育児休業中だったので、時計を見たものの2度寝を決め込んで布団にもぐりこんだ。すぐに、バン、と車のドアを力いっぱい閉めたような音が聞こえた。そこから急に電気が切れ、あとはめちゃくちゃだった。揺れる、というよりは、トラックが突っ込んできたような感覚に近い。

 

明るくなって、外に出てまわりを様子を見た。近所の古い家があとかたもなく崩れ、マンションの渡り廊下に亀裂が入っている。でも何よりも気になったのは、一面に降ってくる黒い煤(すす)だった。ゴムの焦げたような匂いがしているが、周りに火事が出ている様子はない。

 

後から分かったことだったが、これは隣の須磨区、長田区の火災の煤が、山を越えて西側のこちらに降ってきたのだった。当時、長田区は靴のゴム製造で全国シェアの高さを誇っていた。その一帯がほぼ全焼したとのことだった。

 

今、神戸の街に地震のつめ跡を探すのは難しい。でも本当に「復興」を遂げたのだろうか。

 

現在、駅前の商店街にはシャッターばかりで人通りが少なく、活気があるのは高齢者でにぎわう病院の待合室と処方せん薬局だけ。復興の目玉になった神戸空港もガラガラで、巨費を投じた商業施設も「貸店舗」の看板が目立つ。新しく何かが生まれそうな気配はない。

 

ただ、この街の経済的な地盤沈下は、遅かれ早かれやってきたと思う。それが地震によって早まっただけである。箱モノがきれいになった分だけ「老化」が目立ってイタさが際立つ。

 

神戸は、震災の復興のモデルとなりえないと住民として感じている。地震をきっかけに、根本的なありようを考えなければ「復旧」にとどまり、やがて町や村は寂れていく。