苦労話とエントリーシート

海外留学中の学生と、留学帰りの就活生との自己紹介文の添削を同時期に頼まれ、仰天したことがある。双方ともがユニーク(オリジナリティが高いというか)な経歴の持ち主にもかかわらず、語り口がほぼいっしょだったからだ。

 

「私は苦境に耐える力があります。●●国に留学しようと考えた時、ほとんど●●語ができませんでした。これではいけないとおもい、図書館にこもって一日8時間以上勉強しました。そのかいあって、大学入学に必要な語学のスコアを取得することができました」

 

違っているのは、国名だけだった。二人とも、なぜ同じ文章になったのか?聞くと、双方とも、就活サイトを参考にしたとのことだった

 

ここで問題。そもそもエントリーシートはなんのために読んでもらうんだったっけ?

 

そう、一次選抜されるための自己PRだ。凡百(ぼんぴゃく=よくある)の苦労話では採用担当の目にとまらない。企業側が知りたいのはあなたがどんな特長を持った人かということ。つまり「あなたがどんな人か」である。

  

おっと「『私は苦境に耐える力があります』って書いてるやんか!」という声が聞こえたぞ。そうじゃない、PRすべきなのは「あなたがどんな夢を実現するためなら、苦境に耐える人なのか」という’価値観’だ。

 

上の例でもっとくわしく言おう。「私」は、何かやりたいことがあって留学したはず。それは何か?留学によって夢は果たされたのか。その成果をふまえ、今、何をしたいと考えているのか。

 

たいせつなのは、苦労のプロセスではない。くりかえすようだが、そうした行動にあらわれた、今のあなたを形作る考え方や信条などだ。語学力PRネタのエントリーシートは、言葉は悪いが何千何百と腐るほどある。でも「なぜそこまでがんばったのか」は個人個人によってちがうはずだ。そこが価値観であり、その人ならではの個性が現れる。

 

ひとつアドバイス。エントリーシートを書くときにこそ、金子みすゞ『みんなちがって みんないい』を、おもいだしてほしい。マニュアルの形をなぞって、安心してはいけない。経験談を使って、自分らしさを浮き彫りにしなきゃならないんだよ。

 

ガクチカの有無

2023年卒生の就職活動の追い込みと、その次年度の合同説明会とが重なる時期になった。両者から聞こえる嘆きは、エントリーシートの最重要項目のひとつである「ガクチカ」。すなわち、「学(ガク)生時代に力(チカら)をいれたこと」を書くネタがないということだ。

 

インターンなどで着々と積み上げている学生もいるが、大部分の学生にとっては悩ましい部分だろう。2020年からつづくコロナ禍は、あなたがた学生から、遊んだり学んだりする機会を奪ってしまったのだから。

 

でも、あらたねて強調したいのは、企業が求めるのは、めずらしい体験談ではないということ。あなたがどんな人間であるか、つまり、どんなときにスイッチが入る人間なのか知りたいだけなのだ。

 

そのためには、自分自身の日常を見つめなおすことがいちばんだ。中高時代からコツコツと継続している習慣や心がけなどで、「私はこんな人間です」と伝えられるようなことはないか?題材はどこにでもある。落ち着いて考えて、リストアップすることからはじめるとよい。

 

※ガクチカに対して、なんでも略すな、と怒る外野のあなた。パンスト(pan-suto)、ゼネコン(zene-kon)など、長い語を二音節に縮めるのは、日本の略語の王道であると心得るべし。ちなみにシューカツ(これも二音節か)関係では「エレオク」「オヤカク」なんてのもあるぞ。

 

 

意識高い系と、持続可能なキャリア

大手前大学の北村先生の著書『不確実性の時代を生き抜くヒント(2022 大学教育出版)』。キャリア研究の最先端が凝縮された、とてもおもしろい本である。ただし、SDGs流行りを意識した帯風のデカ字「持続可能なキャリア」が暑苦しい(先生、ゴメンナサイ)。

 

本の内容は、転職を繰り返してキャリアアップをする人たちの、いわば「鋼のメンタル(心理的資本)」の構造を追求した内容だ。複数回の転職を経てCFO(最高財務責任者)に至った40歳以上の8名の男女を対象に、それぞれ約2時間にわたるインタビューを実施し、のべ約30万5千字にもわたる記述をM-GTA方式で概念化。キーワードを抽出している。

 

キーワードは「転職人生を生きる覚悟」「自分の売りを磨く姿勢」「成長志向」「何とかなる自信」「不確実性の中で決める力」など。私が興味をひかれたのは「不確実性の中で決める力」だ。いわゆる意識高い系と一線を画すのはこの部分だろう。

 

「転職人生を生きる覚悟」「自分の売りを磨く姿勢」「成長志向」「何とかなる自信」は、意識高い系の人々にも存在する。ただ、この本が示唆するとおり、私の知る彼女ら彼らには「不確実性の中で決める力」に必要な、ある要素が欠けている。

 

それは、自分のなかに明確な仕事観を持っていないことだ。社会のなかで自分はどう生きるか、という見極めだ。

 

だから、一流企業だとか一過性の待遇の良さとか、他人の耳目を気にしたものさしを転職先にあてはめざるをえない。自分の人生でありながら、そこで主人公を務めることが難しい人種である、ともいえる。

 

さて、キャリアアップをめざすみなさんはいかがだろうか?「不確実性の中で決める力」の正体のほか、内容が気になる方は、ぜひこの本で続きをどうぞ。

 

いいかげん

とある近所の飲食店の貼り紙を、いつも楽しみにしている。

 

『入院中のおばの見舞いのため、夜のみの営業とします』『腰痛のため、休業します』『スタッフ補充のめどが立たないため、席を間引いています』

 

なにがおもしろいか。期待をこえる情報を盛り込んでしまう、旺盛なサービス精神(ご本人にはたぶんそんなつもりはない)がである。

 

顧客がもとめているのは、「店が」「いつ」開いているかである。入店するか、断念するかの判断材料にしたいからだ。「店主が」「なぜ」は、ほとんどの顧客にとってムダ情報。そこにあえて力点をおくズレ方に、おかしみを感じてしまうのだ。

 

情報は、多ければ多いほどよいのではない。文章を書くことは、「書かなくていいことはなにか」を考えるのと同意義であるといっていい。絵やイラストもそうだ。

 

採用時のPRだって同じである。何を伝えるとより効果的か、加減乗除しながらいいかげんに調整する必要がある。

 

そこで、シューカツ生さんへのアドバイス。まず「自分らしさ」を知ってもらうという、主目的を忘れないこと。エピソードの伝達自体が目的ではない。また、あれもこれもとよくばりすぎると、「結局キミ、どんな人なの?」になってしまう。

 

採用側の方々へ。こと大企業に関して言えば、トレンドワードのSDGsをPRの主役にしないほうがいい。やって当たり前の話で、自社の差別化にはなりにくい。なにより「御社の、社会持続可能性をさぐる企業姿勢にひかれました」と、つかいまわしのセリフを、学生さんらからえんえんと聞かされるハメになりますぞ。

 

「くださる」vs「いただく」

就活生さんからの質問。「オンライン面接のメールでのお礼は『先日は面談くださいまして』『先日は面談いただきまして』、どっちがいいいんでしょうか?」

 

正解は(そもそも言葉遣いに正解なんかないと思うが)「どっちでも、好きな方に」である。ただし、ニュアンスの違いはある。

 

もともとの意味は

①~ください(る)=(相手が)くれる

②~いただく=(こっちが)もらう 

なので、いわゆる主語が違っているのだ。

 

たとえば

①’「ご来店くださる」②’「ご来店いただく」では

①’は(客が)来店する

②’(こちらが客に)来店してもらう

という感じだ。

 

敬意表現という観点では

①~くださる、は相手の動作なので「尊敬(客を上げる↑)」

②~いただく、はこっちの動作なので「謙譲(こっちがへり下る↓)」

の類いになる。

 

ますます、ややこしくなってきた。

 

そのために「ビジネスでは謙譲表現②『~いただく』を使うように」と、のたまうマナー講師も多い。

 

ただし、へり下り過ぎたるはなお及ばざるがごとし。究極の謙譲語?「させていただく」は、相手に有無を言わせない強制力を持つ。「実家に帰らせていただきますっ!」は家出するときの決め台詞だもんね。

 

*参考 「教えてくださり?」「教えていただき?」NHK放送文化研究所

 

 

社名の由来

「御社の○○にひかれました」と面接官の前でアピるそこの就活生さん、ちょっと待った。ちらっと見たHPや先輩訪問時の聞きかじりといった周知のリソースでは、ライバルと差をつけるのは難しいぞよ。ここはひとつ、会社のルーツに深く関わる「社名」に注目してみよう。

 

では、クイズを3つ。

 

1 創業者の名は「豊田(トヨダ)」なのに、なぜ社名は「トヨタ」なのか?

2 創業時、ダスキンの創始者、鈴木清一氏がイチオシとして考えた社名は?

3 「セメダイン」に込められた真の意図とは何か?

 

答えは以下の通り。

 

1 創業前年の昭和11年、公募した社名ロゴ「TOYOTA」のデザイン案を気に入ったから

すでに登録していた第一号国産車「トヨダ号」の商標を取り消し「トヨタ号」に変え、社名もトヨタにした。あの質実剛健なトヨタがデザイン優先で社名を決めたという、らしからぬ?逸話だ。

 

2 (株)ぞうきん

あまりのストレートさに「これじゃ嫁さんもらえない」という社内からの懸念の声が上がったらしい。これを受け、(株)サニークリーンとなり、のち「ダスト(ほこり)」+「ぞうきん」の「ダスキン」に落ち着いた。業務内容と語呂の良さを兼ねた見事なネーミングである。

 

3  打倒「メンダイン」

明治中期、英国製「メンダイン」をはじめとする輸入接着剤に、日本産のノリは駆逐された。創業者・今村善次郎は「メンダイン」を「攻め(せめ)る」をスローガンに苦節4年、汗と涙で初の国産接着剤を開発した。これがのち社名となる「攻め+(メン)ダイン」、だからなんだか強そうに聞こえるのだ。

 

ほかにも面白い話はいっぱいある。ロート製薬の最有力候補社名は「眼活」だった(今ならウケそうだ)、文化元年創業の「ミツカン」は、明治期に屋号「丸勘」の登録をライバル社に出し抜かれて急遽考えた、二番煎じの社名だったなどなど。社名にまつわるエピソードは尽きない。

 

どうだろう、とりあえず志望企業名の由来を調べるというのは。このネタだけで、人事担当者と10分ぐらい会話がもたないだろうか。

 

 

※参考:『誰かに教えたくなる「社名」の由来(2007)本間之英

TOYOTA、ダスキン、ロート製薬、各社HP「会社沿革」

 

圧迫面接って何だ?

圧迫面接とは、「言葉や態度や行動で、受験者をビビらせて反応を見る面接」だ。一部の企業では、こんなことでストレス耐性や機転などの資質が測れると、いまだに信じているらしい。

 

その対策か、就活応援サイトでも『ブラック企業の圧迫面接にはこう答えろ!』があった。「目の前で履歴書をビリビリに破かれてしまった。どうする!」「容姿のことをけなされたときは」などとのケーススタディの文字が踊っている。

どうするもこうするもない。呆れ果てて沈黙に逃げ込むか、激怒するか、湧き出る感情に任せるしかない。そもそも、ブラック企業にわざわざ面接に行かなくてよろしい。こんなケースを想定して記事を載せた奴の顔が見たい。新卒の社畜化促進に寄与したいのだろうか。

ただ、否定的に感じる問いをすべて「圧迫面接」と捉えてしまう、心やさしき就活生にひとことアドバイス。例えば、「この前の面接での答えとずいぶん違っているよね?」「実は朝から同じ答えを学生さんから聞かされているんだけど、あなたはどうしてそう考えるんだろう?」という類いの質問への対処である。

すべて、「Yes,but....」で始めよう。確かにあなたのおっしゃる通り、でも私の真意は…、という具合だ。要するに相手は具体的にここを聞かせてくれ、と言っているだけなのだから、フツーに答えたらいい。緊張感はいやでも高まるだろうけど、口を開く前に深呼吸でもして、気持ちを落ち着けてね。

あと、圧迫面接の練習は無意味だよ。人生、すべてのことに準備ができるわけじゃないんだから。

「私はこの××で内定をもらった!」の落とし穴

「早くも4人に1人が内定1つ以上を確保!」という大手情報会社の情報に動揺しているキミ。まあそんなにあせらなくていいって。下は「5月1日時点での就職志望者のうち、大学生の就職内定率は24.6%」を発表した某R社の調査概要である。

 

調査概要<2017年卒:2017年卒5月度(速報版)

調査対象:2017年卒業予定の大学生および大学院生に対して、当社採用サイトで2016年1月20日~3月27日、4月12日~4月25日に調査モニターを募集し、モニターに登録した学生6,533人(内訳:大学生5,380人/大学院生1,153人)

調査期間:2016年5月2日~5月9日

集計対象:大学生 889人/大学院生 349人

 

簡単に言うと、モニター登録した学生・院生6,533人のうち、5月の1週目に1,238人に回答してもらったということだが、ここで注目すべきは「手挙げ方式」での回答であるという事実。登録はしていても、内定ゲットできていない奴はわざわざ回答しないよね。なので、内定獲得率は実際よりも高く出ている可能性があるのだ。

 

で、持ち駒が過ぎてしまって今からエントリーシートを書く人に注意。今から続々と「私はこの自己PRで内定をもらった!」という実例がネットにあがって来ると思う。それを鵜呑みにしないでほしいのだ。

 

なぜなら、それらのエントリーシートのどの部分がアピールしたのか、本当の理由は公開されず、採用担当者しかわからないからだ。何かの受賞歴が目にとまったのかもしれないし、学歴が気にいられたのかもしれない。ここだけの話、この中身でよく通ったなぁ、と内心思うものの、書いたご本人は悦に入って広く公開、というケースはよくある。参考にはしても、内容や書き方を真似するのは無意味だ。

短所は強み、長所は弱み

「あなたの短所(弱点)を書きなさい」に対して、どのように応えたらいいか。このFAQに対するこちらの回答は「ある程度正直に申告したらいいんじゃないの?ただしフォローを忘れずに」である。

 

シェークスピア『ハムレット』で登場する魔女のセリフ「キレイは汚い、汚いはキレイ(Fair is foul, foul is fair)」ではないが、長所と短所は表裏一体である。「慎重」という長所は、「スピードが遅い」にという欠点に、「こだわりを持つ」は単なる「頑固もの」になりかねない。要は、長所短所はともに持ち味なのだから、当人がそれをきちんと把握しているか、適確に対処できるかというだけの話である。

 

ちなみに、遠い昔の小学生時代、私は学期末の通信簿に「人の言葉の揚げ足取りをする」「自己主張が強すぎる」と書かれ続けた。まあ確かに、誤字や言葉遣いの誤りがあるとやっきになって指摘するタイプだったから、特に教師からは嫌われ者であったろう。しかしその欠点は長じて「添削」「校正」という職能と「妥協を嫌う」というモノづくり精神に転じた(と自画自賛している)。

 

ただ、言葉選びには慎重になってほしい。「協調性がない」などとストレートに言ってしまうと、組織に入る身としてはやはりまずい。「譲れない部分ではかたくなになってしまう」「内省的な面がある」など、そこそこの美辞麗句で彩ろう。完璧な人間なんていないのだから。

 

*右上はありし日の熊本城。でもどのような善意に裏打ちされていようが、『義捐金○』が『義援金×』となっていると指摘したくなる、相変わらずのタハラであった。

 

エントリーシートでは1文は40字以内で収めろ?

エントリーシート書きにはげむ親愛なるシューカツ生諸君へ。

 

商売柄、自称就活コンサルタントのサイトをホッピング(というかザッピング)することがよくある。そこで最近よく目にするのが「1文は40文字ぐらいで、簡潔にまとめましょう」というエントリーシート作成の"鉄則”だ。

 

でもよく見てほしい、その筆者、自分のサイトの文章をホンマに40字以内で作っているか?

(ちなみにこの文章↑がちょうど40字。短いでしょ?)私の見るところ、まれである。

 

というのは、1文40字で文章を作るのはけっこう難しいからだ。文がブツブツ切れている印象を与えないように、「そして」などのつなぎ言葉をあえて書かなかったり、「…だ」「…だ」と単調にならないよう、「~ではないか?」呼びかけの形に変えたり。滑らかに書くのは、ちょっとしたテクニックが必要なのだ。だから無理しなくていい。

 

ただ、みんなが書くエントリーシートの1文が長い傾向にあるのは事実で、100字を超える文が続くこともザラだ。そこで、

 

・ネットでも手書きでも、1文が3行以上にならないようにする

・そのために「~なのだが、」など文をつなげている「が、」の部分でいったん文を切る

 

この2点だけ留意してもらえれば十分である。40字を死守するために、文全体のバランスを崩してしまうのはナンセンスだ。

 

 

「業種」「職種」「会社」の違い

解禁日から約1カ月。フライング企業以外でも、ちらほら内定のニュースが漏れ聞かれるようになったがあせらないように。

 

気になる業界には、ひととおり足を運んだ気になっている時期かもしれない。ときどき「第一志望だった業界、自分に向かないということが分かったっス」と報告を受ける時がある。ただ、じっくり話を聞いていると、単にその企業とは合わない、あるいは入れてもらえそうにないということが判明しただけだったということがほとんどである。

 

なので、自分が「合わない!」と感じた会社には、その理由をはっきりさせてほしい。

 

その企業のどこが合わないのか。人事担当者の態度なのか、説明用資料がしょぼかったのか、連絡がなかなか来なくて信用できなかったのか、はたまたできの悪かった自分のパフォーマンス(面接など)の責任をその会社に転嫁しているのか。自身の内面と率直に向き合って答えを言語化して、自分の中でデータを蓄積しておくこと。これが必要だ。

シューカツの神様

おおっ。週2ブログを続けるぞ、と誓いを新たに再開した前回のブログはなんと年始。そして今は2月、しょっぱなから月イチの更新になっているではないか!三日坊主どころか、三十一日坊主である(なんのこっちゃ)。

 

さて、年始の三が日、初詣には行ったかな?このブログをご覧の中には、就活の成功を念じつつ、神殿に向かって柏手を盛大に打った方も多いだろう。

 

ここでは、シューカツに効く神様を紹介したい。如月(二月)の今からでも遅くない。岡山県岡山市にある「吉備津神社」である。この神社には鬼征伐で有名な桃太郎こと「吉備津彦命(キビツヒコノミコト)」が祀られている。

 

山陽道で勢力を誇る温羅(ウラ)一族を征伐するため、大和朝廷から下された吉備津彦命は、長年の苦闘の末、掃討作戦に成功した。ところが敵の頭領、温羅のクビは、はねられ晒されても、犬に食わせられても、地中深く封じられても、不気味に唸りつづけ吉備津彦命を悩ませた。

 

それが続くこと一三年、温羅は夢枕に立ち「わが媛(ヒメ)、阿曾をしてこの地で釜で火を焚かせ、占いをせしめよ」と告げ、消えた。吉備津彦命が阿曾を坐女(ミコ)につけお告げのとおりにすると、声はおさまったという。要は、オレの大切な人に職をあっせんしろ、そうしたら静かにしてやるからというバーター取引である。

 

というわけで、愛する者の就活を成功させた温羅。

 

ただし、これは昔々の、かつ反社会勢力だからこそできた力技かもしれない。現代だと「クビに応じるから、自分の子を採用してやってくれ」という悲話になるかもしれないが…いかがだろう、わが子を就活生に持つ親御さん、試しに一度お参りをしてみては。(お参りの効能は個人によって異なります)。

 

吉備津神社HP http://www.kibitujinja.com/news/

学歴フィルターの是非

月曜更新のつもりがまた遅れてしまった。遅れついでに6月2日現在、netgeekでも取りあがられた事件についてひとこと。


【炎上】ゆうちょ銀行が学歴フィルターを仕掛けていたことが判明!勇気ある学生が告発して大祭りに!!!!!


この事件、ある大学名でセミナー予約してもずっと「満席」で拒否されていたところ、東大生になりすますと参加を受け付けてもらえた。そしてそれを学歴フィルターとして告発したところ、アカウントごと削除されてしまったというものだ。


フォロー数はせいぜい1万程度だから、就活生側で本当に「祭り」になっているのかあやしいもんだが、これを見た社会人らの反応が面白かった。「そんなん当たり前じゃないか」「親がなんのために子どもに初期投資していると思っているんだ」。結構シビアである。そう、努力が評価に反映される社会であればある意味あたりまえ。公平=平等ではないというのが世のならいである。


でも私は別の意味で、大問題だと思っている。「うちは東大以下、勉強のできる学生しかいりません」と公言しないのはなぜか。ゆうちょ自体、いや日本の企業のほとんどが、平等という強迫概念にとらわれているのだ。一応広く門戸を開く形にしておかないと、世間様の非難を浴びてしまうからね。情報会社が、さらに脅しを加える。そりゃ彼女/彼らは閲覧数が多いこと=収益だから。ばかばかしい、その採用コストは、結局利用者に跳ね返る。


それにしてもゆうちょ銀行さん…ホントに東大生いるの?どんな使い道を考えているの?「なぜ東大がいいのか」の説明ができないようじゃ、採用したってしかたないし、第一来てくれないよ。



書いてみなはれ

あのね、なんでみんな「やってみなはれ、という御社の社風に共感しました」って書くのかな。文系はともかく、技術系まで。「マッサンの大将に…」っていうのもやめてほしいな。みんな書いているんだもの。あと、「新波さんと新しいサントリーを」というのもパターンの1つ。


サントリーのエントリーシート原本って、基本真っ白だよね。そこでオリジナリティを見たいって言ってるんだよ。他の人が何をネタに書いてくるかだいたいわかるだろう?かぶらないよう予想は立てないと、無難に同じこと書いてどうするんだよ。学校の試験じゃないんだぞ。


なに?何をどう描いていいかわからないって。なるほど。で、その理由はわかる?取材不足、知識不足なんだよ。材料がないから上っ面のことだけ書いてごまかさざるを得ないんだ。


少なくとも、「やってみなはれ」って書くんだったら、社史ぐらい読んでおいてよ。新潮文庫で数百円、アマゾンでも普通の書店でも、どこからでも手に入るよ。「みとくんなはれ」という言葉と対になっていることぐらい知っておいてほしいな。


とにかく、調べて調べて、それから書いてみなはれ!



「御社の企業カラーにひかれて」とやら

数か月ぶりのブログだ。いかに副業が忙しかったからと言って、一応文筆業を名乗るわが身が恥ずかしい。


さて、数カ月遅れで始まったシューカツもつじつまを合わせるように、急ピッチで選考が進んでいる。そこでよく目にする(耳にする)みなさんのフレーズが、「御社のカラーに惹かれて」「企業風土のよさが」「雰囲気がすばらしい」である。


ただ、経営学を(真剣に)かじっている人ならわかるけど、企業文化を図る尺度って、学問的にもいろいろあって難しいんだぜ。一見さんのキミたちにわかってたまるか~と言いたいところだけど、先入観を持たない若人の直感というのは、バカにできないことは経験上知っている。そこで一つアドバイス。


「御社の雰囲気/企業風土/カラーがよくて…」の後に、必ず「なぜならば」や「どんなふうに」をつけて説明しようよ。ただし「説明会のときに前に立った方の目の輝きが…」など抽象的なものはインパクトに欠ける。3人に2人はそんなこと言っているしね。「廊下ですれ違いざま、見も知らぬ私に社員の皆さんが目礼してくださる」とか、自分の目で観察したことを、できるだけ具体的に述べよう。ここまでしないと「ナルホド」と思ってもらえないよ。


がんばれ、(特に)文系学生

アベノミクスの化けの皮が剥がれ出しちゃったね。日銀協調の金融緩和なんて、高齢者に精力剤をガンガンつぎ込むような政策だからなあ。経済政策も大企業頼みだったし。成長へのロードマップが希薄なまま、ニッポン丸というご老体へのカンフル効果もそろそろ終わりだ。

 

だからみんな、「雇われる」ことに必死にならないでほしい。事務系の仕事なんて、遅かれ早かれ機械に駆逐されることは目に見えている。最初の職場にずっと居続けることができる人は、ほとんどいなくなるはず。だから「こんなことをしたらみんなに喜ばれる(=もうかる)かな?」という視点で、新しく職業を作る気持ちで世の中を眺め、就職活動をしてほしい。その視点が活きるときが必ず来るはずだ。

 

そして、自分たちの世界を住みよいものにするため、自分たちの手で居場所と仕事を作り変えていってほしい。未知の変化を受け入れることは恐怖だが、自分たちで変化を作りだすのは苦楽しい作業であるはずだ。その変革のお手伝いをすることが、我々大人世代の責務だと思っている。

 

勘違いシューカツ学生が増えるじゃないか!

まっこと、約1カ月ぶりのブログである。10月は仕事がヒマだからいろんな仕掛けができると喜んでいたのだが…その後雑務の嵐に押し流されてしまった。自分の手際の悪さを呪うばかりである。

 

さて、ややくつろぎモードの本日、2014年10月30日付の日経ビジネス「記者の目」を見て、飲みかけたウーロン茶を吹いてしまうところだった。「2016年卒は売り手市場?『トンガリ学生』探しに企業は躍起」のことだ。勝手に人の仕事量増やすな、と文句を言いたい。 

 

内容をみると、「とんがった」採用例として三幸成果の「おせんべい採用」のことなどを取り上げている。昨年はせんべいのことだけをエントリーシート(ES)に書かせて選考、その後、ESを元にしたプレゼンで合否を決めた(気になる方はここを参照。今年はどうするんだ?)

 

「この手の採用をぜひウチもやってみたい」との企業側の声もちらほら聞いたが、「やめとけ」とアドバイスした。なぜか。単なるウケ狙いESが殺到、手間がかかって結局いい学生が見えなくなる。「とんがった」じゃなくて、単に「いびつな」勘違いESを大量に読むこちらは、大変な苦労をさせられる。

 

組織にとって「いい学生(人材)」とは何か。それは与えられた仕事内容を正しく理解し、熱意と粘りをもってそれを達成することだ。ところが、学生に限らず「正しく理解できる人」という初期段階がクリアできない人は多い。

 

例えば、「他人に誇れるような出来事を一つ取り上げ、自己PRしてください」のところで、どうみてもそれに該当しない「自動車の普通免許を苦労して取得」「バイト先の店長から褒められた」などありきたりの話を前面に押し出す。まずこのネタレベルで3割程度が落選。さらに自己PRというゴール地点にたどり着く前に、出来事の説明だけで字数が尽きている。その時点でほぼ4割がアウト。

 

ということで採用する側からいえば、ここまでで10割ー7割で約3割までの人材の絞り込みが可能、というのが添削歴15年以上の私の経験値だ。ESがまだ採用ツールとして有用なのはまさにこの点にある。ESの内容そのものよりも、相手から投げかけられた質問への理解力の有無に焦点が当たっているわけだ。

 

ちなみに記事タイトル「2016年卒は売り手市場?」は理系に限って言えば「?」をとってもよい状態だと思う。ただし文系は相変わらず厳しい。じゃあ、どうすれば?は以降に続くとしよう。待てない人はサイト内の「タハラ博士の添削道場 自己PR編」「タハラ博士の添削道場 志望動機編」を先に見てくれたまえ。 

 

インターンシップ`詐欺’

ひさびさに「論理力養成ギプス講座」を書こうかと思ったけど、気になることがあったので就活ネタに変えるね。

 

さて夏休み中、いろんなインターンシップを経験した人も多かったことだろう。その中でちらほら聞いたのが、それへの応募試験に通ったあと、金銭を要求された話である。

 

名目で一番多いのが「研修参加費」。仮にその会社をA社としよう。A社主催のセミナーや勉強会によろしければ来て下さいというスタンスだが、かならず「選ばれし者」という体裁をとる。内容はよくありがちな、グループワーク中心の自己啓発だが「人と社会を動かす力」などと御大層なタイトルがついている。就活がらみだし、自己効力感のさほど高くないやつならば絶対食いつくだろう。

 

費用は3~5万、学生にとっては大金であり(もちろん社会人にとっても)、即金では出せない。親に借金をするか、バイト代を当て込むかで、後者を選んだ者はローン契約を組まされる。

 

1回ならまだいいが、「過去最高の挑戦、成長、感動、そして達成。次々に明かされるミッションを突破した先には…」などと銘打って、ちゃんとおあとのセミナーが用意されている。これに乗せられ、1社だけで10万を超える契約を汲まされている学生もいた。もちろん金利もつくので、冬休みまでのバイトはその返済に消えるのだという。

 

おまえはアホか、金が余っているなら自己啓発とやらもいいかも知れんが。ともかく、親に事情を話して契約解除をし(未成年だった)、その浮いた時間で勉強でもしてろ、そっちの方がよっぽど「求められる人材」になれるぞ。ときつくアドバイスをしておいた。

 

宗教でもなんでも、じんわりとカネを要求してくるのはヤバい団体だ。自己啓発なんて、社会人になったら機会はいくらでもあるのに。それよりも、1社にこだわらず、とにかくいろんな会社に顔を出して社会見学する方がよっぽど有益な体験だ。今の自分にしかできないこと、楽しめることに時間とカネを使おうよ!

 

キャリ・コンとしての反省

人材育成のプロや経営者のなど最前線の方々から、最近の新人・若手育成にあたってのトリセツ、つまり傾向と対策について話を聞く機会があった。

 

「手堅くまとめた『自分』から一歩も抜け出せない」「行動よりプロセス重視」「批判されることに耐えられない」など、オバハン・オッサン世代から見るとナルホドというコメントが相次いだ。ただこれ、この会合の中でも指摘があったのだが、ひょっとしたら大学によるキャリア教育(ていうか就活ノウハウ講座)の影響が大きいと思われる節がある。

 

例えば、「手堅くまとめた『自分』から一歩も抜け出せない」。「私って…じゃないですか」というありがち表現は、聞き手側からすれば「そんなん知らんやん」である。自分はこう考える、こう行動したいと自分らしさに固執し、肝心のサービスの受け手である相手の欲するところを考えない。これって、個をもたない若者の皆さんに「自分らしさをアピールせよ」と急ごしらえの自己PRを用意させ、そこに各「自分」安住させた採用担当者と我々大学キャリ・コン(キャリア・コンサルタント)の共謀罪の一端があるのではないだろうか。

 

また、「行動よりプロセス重視」も思い当たるところがある。我々大人は子育てという超・若手育成の時代より「どんな結果を出したかより、どれだけがんばったかだ」などと大多数となる負け組の子どもにエクスキューズを用意してあげた。でもまあ、これは仕方ない面があるかもしれない。

 

ただし、子育ちの最終段階であるシューカツ、特にグループ・ディスカッション(GD)の場面での、キャリコンなる人種からのアドバイスは余計だったか。ネットで検索するとたいていこう言っているよね、「採用担当者は、合意のプロセスに注目しています。ですからアウトプットを気にせずに」。その刷り込みが会社に入ってからも行動の勘違いを生んでいるのではないか。会社なんて結果(業績)をあげるために存在する組織なのに。

 

というわけで、シューカツ中の皆さんは無事内定をもらったら、今まで養った就活ノウハウはいったん忘れて、無心な状態で入社してきてね。ハッキリ言って私の若かった頃も含めて、平均的な20代前半の「自分」なんて固執するほどの価値もないものなんだから。

 

いいことも嫌なことも、いろんな経験を積みながら変わっていく自分、ここを楽しもうね。

 

 

 

 

 

 

 

シューカツ要注意表現 (敬意編2)

おや、またもや2週間ぶりの更新になってしまった!本当に申し訳ない。

 

言い訳すると、この1週間体調が絶不調で、不要不急の仕事を極力控えていた(添削依頼をしてくださった皆さん、サクサク返却できずに申し訳なかった)。いまだにまともに食事もとっていないのだが、悲しいことに?体重はそのままである。

 

今頃の季節になってこんな体たらくとは、と内心思っていたら、周囲に聞くとけっこうインフルエンザがはやっているらしい。あったかくなったからといって、みんな油断せずにがんばろうね。手洗いとうがいは忘れずに。

 

ところで、前回の続き。新入社員研修では必ずマナーや言葉遣いのメニューがある。企業も人手と時間を割いてこんなことをするからには、敬語は非常に大切だと思っているはずだ。ちなみに、こんなことに力を入れるのは日系企業だけだそうだ。

 

じゃあそもそも、なぜ敬語は重要なんだろうか?ひとことで言うと、聞く人の「神経に触る」からだ。

 

人間はざっくり言って、理性と感情とで相手を判断すると言っていい。ビジネスの場合、理性=損得といってもいいかもしれない。ただ、この損得勘定の土台になっているのが「感情」である。敬語をミスると、この部分をもろに刺激しまい、常識のない奴→信頼できない奴→まともに相手にできない奴、と負の感情のドミノ倒しをよんでしまう。

 

10年ぐらい前、注文を復唱する際の「~でよろしかったでしょうか?」というバイト敬語が世間の話題になった。(今ではすっかり定着の感があるが、正しくは「よろしいでしょうか」)「よろしかった」がNGだということも知らない若い世代も多かろう。当時の年長世代からの異様な反発は、まだこっちが確定のサインを出していないのに、そっちで勝手に決めやがって、という感情的なものに根付いていたのだ。

 

人間って、頭で行動・判断しているんじゃなくて、けっこう原始的な感情で動くことも多い。敬語が重視されるのはそういうわけなんだよ。