キャリ・コンとしての反省

人材育成のプロや経営者のなど最前線の方々から、最近の新人・若手育成にあたってのトリセツ、つまり傾向と対策について話を聞く機会があった。

 

「手堅くまとめた『自分』から一歩も抜け出せない」「行動よりプロセス重視」「批判されることに耐えられない」など、オバハン・オッサン世代から見るとナルホドというコメントが相次いだ。ただこれ、この会合の中でも指摘があったのだが、ひょっとしたら大学によるキャリア教育(ていうか就活ノウハウ講座)の影響が大きいと思われる節がある。

 

例えば、「手堅くまとめた『自分』から一歩も抜け出せない」。「私って…じゃないですか」というありがち表現は、聞き手側からすれば「そんなん知らんやん」である。自分はこう考える、こう行動したいと自分らしさに固執し、肝心のサービスの受け手である相手の欲するところを考えない。これって、個をもたない若者の皆さんに「自分らしさをアピールせよ」と急ごしらえの自己PRを用意させ、そこに各「自分」安住させた採用担当者と我々大学キャリ・コン(キャリア・コンサルタント)の共謀罪の一端があるのではないだろうか。

 

また、「行動よりプロセス重視」も思い当たるところがある。我々大人は子育てという超・若手育成の時代より「どんな結果を出したかより、どれだけがんばったかだ」などと大多数となる負け組の子どもにエクスキューズを用意してあげた。でもまあ、これは仕方ない面があるかもしれない。

 

ただし、子育ちの最終段階であるシューカツ、特にグループ・ディスカッション(GD)の場面での、キャリコンなる人種からのアドバイスは余計だったか。ネットで検索するとたいていこう言っているよね、「採用担当者は、合意のプロセスに注目しています。ですからアウトプットを気にせずに」。その刷り込みが会社に入ってからも行動の勘違いを生んでいるのではないか。会社なんて結果(業績)をあげるために存在する組織なのに。

 

というわけで、シューカツ中の皆さんは無事内定をもらったら、今まで養った就活ノウハウはいったん忘れて、無心な状態で入社してきてね。ハッキリ言って私の若かった頃も含めて、平均的な20代前半の「自分」なんて固執するほどの価値もないものなんだから。

 

いいことも嫌なことも、いろんな経験を積みながら変わっていく自分、ここを楽しもうね。