「求められる人材」ー「ありのままの自分」=「志望動機」

エントリーシートを書く前の自己分析をワーク形式でしていると、やっている途中に、勝手に帰ってしまう学生さんが必ず数人いる。例え、いくばくかのお金を払う有料講座であってもだ。

 

つまんない授業から立ち去るノリで退室したということもままあるが、「書けない」「自己分析しても何もでてこない」苦しさから逃れるために出ていったケースがほとんどだ。

 

そして毎年1回は、とてもまじめな学生さんなのだろう、泣き出す人にも出くわす。「私には取り柄がないんです」と訴える。そんな現象を周囲の大人(大学の就職担当やゼミの教授など)に伝えると、「だらしない。そんなんじゃサバイバルできない」そろって顔をしかめる。

 

でも、私には、とても正直な反応に思える。いかにも何かありそうに「私は××な人間です」と出来事を連ねとりあえず紙面を埋めるのも大切なことだろう。でも、「自分は何もない、つまんない人間なのではないか」という思考停止する瞬間もあっていいのではないか。齢○十年の古ダヌキの私だって、「あなたはどんな人間で、長所はどこだと思っていますか」と面と向かって迫られると、一瞬言葉に詰まるに違いない。

 

ただ、思考を停止させたままでは前に進めない。振り返るとユルく生きてきて、何のメリハリもないと情けなく思うかも知れない。でもあなたは、私よりエラいんだよ。今から何でもできるんだから。これから使える時間だって長いし、成長スピードも成長の余地も、私なんかよりずっとある。

 

「自己アピールしなきゃ」と構えず、「自分のありのままを紹介する」と考え方を切り替えてごらん。それだけじゃつまんないと思うんだったら、「いままで平凡に生きてきたから、今からこんなことをしたい」と「これから」に重点を置いてごらん。

 

企業の求める像に完全に一致する学生なんてそうそういない。「企業が求める像」ー「自己PRで伝える自分自身」にギャップが生じるのは当たり前。そのギャップを、これから何をしたいのか、そのためにどんな自分でありたいか、という「志望動機」で埋めるんだよ。これからどんな自分でありたいの、あなたは?