元・被災者として

また3月11日がやってきた。いつか現地に行きたいと思いながら、なかなか体が空かない、というのはきっと言い訳だ。きっと現実と向き合う勇気がないのだと思う。地震による破壊だけでなく、津波、原発事故ー阪神大震災とはケタ違いに広範囲で、爪痕深く、長期間わたるであろう災厄だ。

 

先月、知人のお兄さんがこの世を去られた。京都出身ながら宮城県で歯科医をしていたその方は、石巻で歯型によるご遺体の身元確認作業にあたってきた。ときには一日数十体にのぼることもあったらしい。その合間をぬった診察で、来院したこどもの笑いを取るためにパンダの着ぐるみを着た。いかにも関西人らしいエピソードだ。

 

ところが軽装のまま、日夜休むことなく身元を改めたことがもとで、感染症にかかってしまった。今年に入って、不治の病いである「特発性肺線維腫」で入院。入院中も「こどもたちにボールを贈りたい」と友人を通じて活動を続けていたという。入院約1ヶ月後、息を引き取られた。

 

なくなる直前に、宮城県に寄付をした。

 

みなさんは覚えておられるだろうか、震災後すぐに来日したレディーガガが震災チャリティーオークションに出したキスマーク入りのティーカップを。実はこの方が落札者だったのだ。危篤のお兄さんに代わり、知人が村井知事にカップを手渡した。

 

人間の力は自然とくらべてあまりにも非力だ。ときどき絶望的な気分になるときがある。でもひとりひとりが積み重ねていけば、長い期間がかかっても何かが変わるかもしれない。現実に顔を背けてはいけない、小さいことをこつこつと続けたいと思いを新たにした。