さくら

櫻の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、櫻の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。櫻の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

 

すわ、公園で死体遺棄事件か、と驚かないでほしい。知る人ぞ知る、梶井基次郎『櫻の木の下には』の冒頭部分である。

 

梶井は続ける。「いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽が完全な静止に澄むように、…不思議な、生き生きとした、美しさだ。」

 

でも満開の桜の魅力は、桃の花のような「可憐さ」でも藤の花のような「清楚さ」でもない。「妖気」だ。

 

桜の樹の下にたたずむとぞくぞくするのは、何も花冷えのせいだけではない。花を愛でているというよりは、逆に愛でられてているような感じ、そのうち樹に取りこまれてしまうような緊張感。思いすごしじゃなかったんだ、と『櫻の木の下には』を始めてみた中学生の頃、妙にほっとしたのを覚えている。

 

今、事務所の目前に満開の樹が咲き誇っている。それから数十年たった今も、やっぱりコワいという感覚はぬぐえない。