コトバが無力に感じるとき

コトバに関わる仕事を始めてはや15年(サラリーマン時代を通算するともっと長くなる)、自分の考えや感じたことを言葉で表現するのを生業と信じてやってきた。だがときどき、というかひんぱんに、その無力さを感じる。自身の表現能力のモンダイではない、漱石だって康成だってハルキだって多分無理だろうなと思うときがある。

 

例えば音楽。なにげなく耳にしたフレーズで体が金縛りになってしまうことがある。そんな演奏や歌に対して「スゴイ!」「すばらしい!」という言葉を発したところでなぁ…と萎えてしまうのだ。

 

それがどんな音楽であったか、形容詞や比喩を駆使して輪郭をつかんでもらうことはできるかもしれない。が、その時自分が感じたことを表現するのは不可能、というよりもその言葉が陳腐に、みすぼらしく覚えてしまう。

 

ついこの間、金管楽器5人組「Gomalan Brass」の演奏を耳にしてふとそう感じてしまった。どんな音楽なのか、下にちょこっと紹介させていただいた(かなりのおちゃらけバージョンで、実際の演奏は約1分後に始まるが)。みなさんはそんな経験をしたことはないだろうか?