違った視点で考える

今日のブログを「論理力アップをめざす」と「雑感」のどちらにカテゴライズするかちょっと悩んだ結果、後者にすることに決めた。自分ネタでいこうと思ったので。

 

私は学部生時代、今は亡き大阪外国語大学でロシア語を学んだ。授業の1日目、現地の学童向けとおぼしき教科書を配られ、「ママ(мама)」「パパ(папа)」「爆弾(бомба)」と反復練習させられたとき、早くもこの言語との相性の悪さに気付いた。その後4年間を経て、これだけは身につけたと断言できるのは、ひょっとすると「代返の技術」と「気付かれずに後扉から抜け出すスキル」かもしれない。

とはいえ、語学専科の学生なので、普通の文化系学生よりはまじめでないと留年の憂き目にあってしまう。事実、年次が上がるごとに2,3人が留年していくというのがこの学科の通例であった。

 

出席日数を稼ぐため私もガマンした。約90分間社会主義を絶賛しつづける教授の授業で、「あの~っ」をカウントして無聊(ぶりょう)をなぐさめたこともある(ちなみに261回であった)。無事卒業できたときには、ヤレヤレ、Rの裏返しや団子の串刺しのような文字からやっと解放されたという思い以外にはなかった。

 

得たものに気付いたのは社会人になって相当たってからである。ニッポン全体を覆う「英米かぶれ」を冷静に観察する自分がいたのだった。

 

なんで「語学やってました」というと「英検何級?」と聞かれるのか?ガイジンを見るとなんでみな英語で話しかけるのか?統計的には日本語の方が通じる確率が高いのに。どうしてチェルノブイリの子どもたちのその後より、「失踪したジョンベネちゃんの行方」に割かれるTVの時間の方が長いのか…われわれは同じ「被爆国」なのに?

 

その後も、アングロサクソン偏重の情報源・価値観についぞなじめないでいる。かといって、最近よく見る、妙な排他主義的愛国主義はゴメンだ。多分これは、共産主義という壮大な社会実験をおこなった「ソ連」という国に、4年間じっくりお付き合いしたことによるのだろう。資本主義一辺倒ではなく、違った立場でものごとをながめる視点が、しらずしらず身に付いたためだと感じている。異なる思想にあえて身をおいてこそ、見えてくるものもある。