やりがいのある仕事という幻想

エントリーシートの志望動機によくあるのが、「御社の**にやりがいを感じました!」というセリフだ。HPかなんかを見て、一生懸命健気に書いてるのはよくわかる。でも、そんなことを書いている学生さんにはこうアドバイスすることにしている。

 

「**について、あなたはどんな点がいいと思ったの?ここを具体的に書こう。『やりがいを感じる』というのは、それをやった人にしか言えない言葉なんだから」

 

そう、「やりがい」とは、それをやって初めてわかるもんなんである。そして言葉だけではなく、本当のところ、仕事なんてとりあえず必死のパッチでやってみる期間がないと、自分に向いてるかどうか分かんないんじゃないかと思っている。

 

こんなこと言うと、職種と自分の適性とのマッチング=「志望動機を書くこと」自体が無意味だという論理になってしまう。でもひょっとしてそうかもしれない。最初は気に入らなくても、その場その場で与えられた事柄について一生懸命やっていりゃ、何かが見えてくることは結構ある。

 

「人と接する仕事が好きです」といっても、別に営業とか接客でなければならないというわけではない。「社内営業」という言葉があるように、人と関わらずに仕事をやっていく方が難しい。志望動機なんてウソも方便、矛盾なく、それらしく説明すればいいというのもひとつの真実かもしれない。

 

ただ、むしろ気をつけてほしいのは、「これはムリ」ということには敏感になってほしいということだ。これは、営業なんてノルマがあっていや、という単純な好き嫌いではなく、自分の価値観に関わることである。

 

自分の例を出すと、私は最初金融機関(生保)に勤めていた。とてもいい会社だった(最初のうちは)が、続かなかった大きな理由のひとつに、自分の価値観(=人生で大切したいもの)と合わない商品を扱っていたことがあるとおもっている。保険という人生のリスクヘッジにあんまり興味がないタイプなのだ。お気楽、お調子者、なんとかなるさという性格と、安全・確実・明日に備えるというスタンスは相容れない。これじゃお客さんの気持ちは理解できない。

 

ただそこで、ものを書く、情報を発信するというという仕事に巡り合えた。そして今、これをなんとかライフワークにしている。これは単にラッキーなだけだったのかもしれない。が、仕事として出会い頭にぶつかったのを機に、一生懸命やったことがとっかかりになったと考えている。

 

食わず嫌いをやめて与えられた仕事にとりあえず全力でぶつかれ、でも価値観に合わないことは嗅覚で避けた方がいいー私が言っていることが思い切り矛盾しているのは承知の上である。でも、これ亀の甲より年の功(知ってる?)、結構的を射てると信じてるんだけど。わかってくれたかなぁ。