感情パワーと論理パワー

やれやれ、何日ぶりの更新か。出張続きでやたら忙しかったというのは言い訳にならない。ひとこと、手持ちのiPadでのブログへの投稿の仕方が分からなかったのが主な理由だ、とエクスキューズしておこう。

 

最近の話題といえば、やはり「号泣議員」であろう。実は、この人の選挙区である兵庫県西宮市は、現在の居住地である(選出当時私は西宮市民ではなかった。念のため)。先日、分別ゴミの収集日が分からず、「西宮市、ゴミ」とネット検索したところ、いきなりこの議員の記事が上位にずらずらと表示され、下の方を見なければお目当ての市政ページにはたどり着けなかった。迷惑な話である。

 

県議の不正支出という、自分の懐に直結する論点そっちのけでバカ騒ぎになっているのは承知していたので、あえて会見シーンには目をそむけてきた。しかし改めてニュースを見てみると、確かにものすごい破壊力である。はからずも笑いのツボが刺激されてしまった。

 

井戸兵庫県知事は「会見は論理的ではなく感情的な印象を受けた」と言っていたらしい。確かに感情は論理をはるかに超え、7つの海をも越えて海外を駆け巡った。この事件だけでいえば感情パワー>論理パワー、論理力擁護派の完敗であった。