天災は忘れた頃にやって来る

物理学者寺田寅彦の言葉とされる。だが多少の著作をひも解いても、フレーズそのものにはいまだ出くわしたことはない。彼のある随筆のエッセンスを、誰かがこう喧伝したのか。

 

その随筆『天災と国防』は次のように始まる。80年の時を超え、平成の我々に恐ろしいほど迫る書き出しだ。歴史は繰り返す、とはいうが、繰り返させてはならない。ぜひ全文を読まれるとよい。

 

『天災と国防』

 

 「非常時」というなんとなく不気味なしかしはっきりした意味のわかりにくい言葉がはやりだしたのはいつごろからであったか思い出せないが、ただ近来何かしら日本全国土の安寧を脅かす黒雲のようなものが遠い水平線の向こう側からこっそりのぞいているらしいという、言わば取り止めのない悪夢のような不安の陰影が国民全体の意識の底層に揺曳(ようえい)していることは事実である。そうして、その不安の渦巻の回転する中心点はと言えばやはり近き将来に期待される国際的折衝の難関であることはもちろんである。

 

 そういう不安をさらにあおり立てでもするように、ことしになってからいろいろの天変地異が踵(くびす)を次いでわが国土を襲い、そうしておびただしい人命と財産を奪ったように見える。あの恐ろしい函館(はこだて)の大火や近くは北陸地方の水害の記憶がまだなまなましいうちに、さらに九月二十一日の近畿(きんき)地方大風水害が突発して、その損害は容易に評価のできないほど甚大(じんだいなものであるように見える。国際的のいわゆる「非常時」は、少なくも現在においては、無形な実証のないものであるが、これらの天変地異の「非常時」は最も具象的な眼前の事実としてその惨状を暴露しているのである。・・・