『問わずにはいられない』編集中記(2)

最終校正、色校は終わった。あとは印刷を待つのみなので、この項は「編集後記」とするのが適当なのかもしれない。が、先週月曜日は校了のあと始末で、ブログを更新しそこねてしまった。というわけで「編集中記」としておく。

 

今回の編集方針の基本路線は「執筆者原文のまま載せること」だった。自分が書かないからラクなようにみえるのだが、これがかなり大変だった。

 

まずは字数の問題である。1人あたり10頁程度、文字にして5,000字MAXが原則である。しかしながら、あふれる思いを規定の字数に収めるのは至難の業だ。たちまち1.5倍ぐらいの文章量に達し、異口同音に「一字たりとも削れません」と訴えがくる。そこを「話の中心は何でしょう。お子さんの思い出、事故事件の経緯、それとも事後対応のひどさでしょうか」。などと話をしながら的を絞ってもらう。

 

次に、当事者と読み手の知識のずれである。悲しいことに、裁判を経験した被害者家族は、ヘタな弁護士よりある分野の法律に詳しくなる。その知識でもって「国賠法により最高裁で加害者側の個人的責任は退けられた」と書かれててもピンとこない。とはいえ、これを文中で説明すると余計に理解しづらい。そこで「ミニコラム」「編集者コラム」と銘打って各稿の終わりに解説を入れた。

 

そして、表記の統一の問題である。編集のセオリーとしては、たとえ執筆者がどう書こうとも「下さい/ください」「事/こと」といった送り仮名、また時刻(午前・午後か24時間制か)などは、全編統一することになっている。また、重複表現も削除する。

 

当初、これにのっとって『22時頃に、医師に「先生、助けてやって下さい!」と叫んだが』を『午後10時頃「助けてやってください!」と執刀医に訴えたが』などと直しかけたが、違和感が残った。やはり伝わる思いが違うのではないか。最後まで悩んだが、できるかぎり原文のままに留め置いた。ベテラン校正者からはさんざんイエローカードを入れられた。

 

これはかなり議論がある部分だろう。読みやすさを優先するか、それもひとつの表現と捉えるか。原稿を読んだ新聞記者から「ひとことひと言に、どれほどの重みがあるのだろう」と言ってもらいはしたが…判断は読み手である皆さまにお任せしたい。