「未来が、過去を決める」

「あれ、『過去が未来を決める』の間違いじゃないの?」と思われた方も多いだろう。書き間違いではない。確かに、起こったことは変えられない。でも、それは今の自分にどのような変容をもたらしたのか観点を変えることで、違う意味付けができるということだ。早い話が『人生すべて塞翁が馬』、幸せも不幸も捉えようということだ。

 

ただし、現在に至る過去が、大きく未来を左右する点には異論がないだろう。

 

ゆえに、古人は過去の記録を重んじた。古代中国では、自らの悪行を記されることを恐れ司書(歴史の記録係)を処刑した王の国に、中国全土から司書が馳せ参じ、、歴史を改ざんを防いだ故事がある。司馬遷も、こうした倣いに即して前漢の武王の怒りを買い、宮刑に殉じながらも『史記』の編集を全うした。歴史を記すとは、まさに命がけの行為なのだ。

 

ところで、わが国ではどうか。「議会についてはですね、私は立法府、立法府の長であります」と答弁して世間を驚かせた首相。確かめたところうわさ通り、国会議事録では「議会については、私は行政府の長であります」と本当に改ざんされているではないか。現代ニッポンの司書には、誇りと矜持がないのだろうか。チョン切られるって言っても、せいぜい自分のクビぐらいだとおもうのだが。