今年のキーワードは「信用と信頼」。ビジネスはこれに尽きると痛感させられる出来事が次々とあったが、お披露目はまたの機会に譲るとする。代わりに、両者はどう違うのかを考えてみたい。
まずはお手軽にデジタル広辞苑を紐解いてみよう。
【信用】
1.確かなものと信じて受け入れること。「相手の言葉を信用する」
2.それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。また、世間が与える、そのような評価。「信用を得る」「信用を失う」「信用の置けない人物」「店の信用に傷がつく」
【信頼】
信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。「信頼できる人物」「両親の信頼にこたえる」「医学を信頼する」
…埒(らち)が明かん。特に信用の2はトートロジーに陥っている。ここは用例とともに考えてみよう。
会話1 太郎「A課長って〇〇できる人なん?」
花子「そうだね。プライベートでは関わらない方がいいかも」
会話2 花子「B課長って●●できる人なん?」
太郎「うーん、見た目はあんな風だけど、ピンチにはめっぽう強いよ」
〇〇=信用、●●=信頼であることはお分かりだろうか。会話1では「信頼」でも意味は成立するが、会話2で「信用」は難しい。つまり、今まで培った評判、人間性といった社会的な評価は「信用」、より主観的にこれを捉えたものが「信頼」なのだろう。「両親の信用」ではなく「両親の信頼」となるのも、これで納得できる。
ちなみにアドラーは、信用=条件付き関わり、信頼=無条件の関わりとして信頼を信用の上に置いた。親鸞聖人と同様、他者を信じる際に「懐疑」を持ち込まないよう諭している。
ただし現実の社会では、相手を信頼したばっかりに、自身の信用が失われてしまったようなトンデモ事件も時には発生する。『明日は雨降り、他人は泥棒』という心構えでいた方が、このせちがらい世の中を渡るのには良いかもしれない。小心者のタハラが、アドラーや親鸞聖人の域に達するのは、なかなか難しそうだ。