感染予防対策としてのケガレ祓い

ちょうど夏越の祓(なごしのはらえ)をはさんで、身内の祝い事と不祝儀をたてつづけに経験した。両者の基本思想は、ともに「清める」。特に後者は「ケガレ祓い=感染予防対策」なんだなあ、としみじみ感じた。死者がどんな病原菌をもたらすか、わからないがための先人の知恵である。

 

平成初めにあった祖母の村の葬儀では、田原家の門戸に「忌」を貼られ、全親戚が本当に7日間の出禁を食ったことを思い出す。緊急事態宣言発令である。

 

次に、家のかまどを封じられた。煮炊きは一切禁止で、近所の人が公民館を借り切って、炊き出しをしてくれた(正真正銘の肉なし精進料理だった)。身内だけの食事ながらも、できるだけ言葉を発してはならぬというお達しである。こうして、食事作りと会食による感染拡大を防ぐというわけだ。

 

また、戸口で精進料理を受け取るのは、孫や子など、家の中で一番若い人間、つまりワクチンの優先順位の低い層である。受け渡しのあとは、村人はかならず玄関の外にある盛り塩を踏んで帰っていった。今でいう出入りの際のアルコール消毒であろう。

 

もちろんわが家を含め、令和の葬儀の多くはもっと合理的になっていて、清め塩や通夜の線香(腐敗防止と防臭)に、感染防止の名残をとどめるのみである。初七日は告別式の当日おこなうし、四九日までの期間(神道の場合は五十日らしい)も、よほどのやんごとない家でない限り、禁足はないはずだ。

 

一方で、今でも旅行などの不要不急のイベントは延期する家もあるようだ。ただ、不祝儀のもともとのいわれが感染予防なのであれば、気持ちの折り合いさえついたら、わざわざ自粛する必要はないともいえる。国家行事のオリンピックだって、感染予防すれば開催できるらしいしね。