メイド・イン・ジャパンのジレンマ

最近、着物にハマっている。

 

必要に迫られ、、なんとかひとりで着られるようになったのがきっかけだ。ハマるといっても、若いころあつらえたり、譲り受けたりした「おふる」を、着用可能か吟味しているレベルだ。 

新品の仕立てまでには、とてもいたらない。

 

反物からあつらえると、普段着でも数十万。よそいきだと、気合が入った帯や草履などとそろえると、2000CCクラスの国産車が買えるほどになる。まったく、シャネルやグッチなど海外ハイブランドの値段がかわいく思えてしまう。

 

というわけで、着られるおふるを選別している。虫食いや変色品、顔うつりの悪いものを処分。こうしたNG組のなかの古い襦袢(じゅばん)を解体してみた。

 

布は羽二重(正絹/シルク)なのだろう、薄手ながらずっしりした風合いで、なめらかさを失っていない。ミシンかと思われたミリ単位のステッチは、すべて手縫い。脇や裾にある生地の縫込みは、体型変化やオーナーチェンジによるリユースに備えたものだ。

 

細やかな手仕事ぶりに驚嘆する反面、21世紀のいまではオーバースペックであるという気もする。これじゃ気軽に洗濯にもだせない。襦袢はあくまでも下着で消耗品なのに。

 

ところが、呉服業界は、襦袢をはじめ、シルクや麻など天然繊維の手縫いを、現在でも主力商品としている。だからクルマ並みの価格帯になるのだ。ただしコスト削減のために、いまや原料を中国に、縫製をベトナムやインドネシアにたよっているときく。

 

原料と生産が国内でまかなえない状態で、正絹や手縫いの伝統にこだわるのはなぜか。高額品としてのブランドを保つためか?海外ハイブランドのオートクチュールが、シルクや手縫いに固執しているという話は聞かないが。

  

こだわりスペックで価格が高止まりし、売上が低迷する。利益率を確保するために、やむなく海外生産へシフトする。これに逆比例して、国内の生産者や技術継承者は減っていく。イノベーションも生まれない。旧態依然の商品にたいして、さらにマーケットが縮小する。

 

まさにメイド・イン・ジャパンが直面する悪循環。ハレの日の高額品として、生き残る道を選んだキモノの運命やいかに。