スベる比喩、ウケる比喩(アナロジー)

うーむ。「田舎から出てきた右も左もわからない〇娘を×××漬けする戦略」か。まともに書くことすらはばかられる比喩(アナロジー)である。

 

この発言時、某「デジタル時代の総合マーケティング講座」では、会場のあちこちで笑いが起きたとある。一流大のリッチな社会人講座を受講する、ふところの豊かさと深さを持つ聴衆である。失笑か冷笑か、ただの愛想笑いか。この上場企業役員は「ウケた」と解釈して舞い上がり、場外で炎上した。

 

滑落したアナロジー。おなじく、この会社の戦略自体もスベるような気がする。

 

マーケティングは、いうまでもなく買い手がすべてだ。その対象は、若年層の女性らしい。ところが最終顧客の顔が、一瞬でもよぎらないこのトークである。そんなセンスで立案したコンセプトが、ウケてほしい層に届くとは思えない。

 

会社の謝罪文もズレている。「多大なるご迷惑とご不快な思いをさせたことに対し、深くお詫び」ではない。安全安心であるはずの、学びの場を台無しにしたことについて、一企業として恥じてほしかった。また、主催者もおなじく恥じてほしい。市井の講師の立場からおもう。

 

で、本題である。アナロジーには、興味関心やバックグラウンドが、すべて出てしまう。使う語彙(ごい)が、その人の教養の範疇を出ることはないからだ。

 

動物好きは動物、スポーツ愛好者はスポーツ。私自身は、乗馬の経験があるので、つい、ウマの話に走りそうになる。だがいかんせん、競馬ファンも含めてウマ好きは多くない。このように、聴衆とに共通項がとぼしそうな題材は要注意だ、

 

昭和の講師は「ネタに詰まったときは、野球とマージャンとゴルフのたとえ話」といわれていたらしい(団塊の世代の必修項目)。行動の基本が個となったいまでは、なにがいいだろうか。

無難なところは食べ物。あと、コンビニ、銀行、スマホいじりなど、公共・半公共の場での人間のふるまい、か。

 

コツは、いいことは人の話、失敗談や滑稽談は、全部自分のせいにすることだ。言われたらどんな気がするか、違和感をチェックできる。なにより、他人を傷つけない。

 

たとえば冒頭の例を「右も左もわからない〇〇のオレを××新地にどっぷりはめた、アノ戦略」などと、ご自身を例に置き換える。世間様に通用するアナロジーかどうか、身に染みてわかるだろう。品位を下げるのも、自分だけですむというものだ。