あこがれの占い師

オカルトブームのさなかに子ども時代を過ごしたタハラの将来の夢は、「占い師になること」であった。理想の職業にみえた理由は以下とおりだった。

 

・元手がかからずに開業できそう

・当たらなくても責任を取らなくてよい

・とにかく、ブームである

 

なんとも冷めた小学生である。

 

とにかくスキルを身に付けなきゃいけない、ということで、占星術、トランプ、タロット、手相・人相、易学、など、中学生になるころにはひととおりの本は読んだ。友達を相手に実践も積んだ。ところが、ぜんぜん覚えられない。

 

原因はおそらく、占いの本がどれも大人向けで、難しかったことによる。つい「なぜそうなるのか」と考えてしまう性癖も災いした。人間、納得感なしに丸暗記するのはなかなか苦しいものだ。

 

そのうち、空前のオカルトブームは去り、占い師への夢もあせた。お小遣いをはたいて買った、多くの占いグッズや本が手元に残された。その多くは処分してしまったが、大人になってから、当時のタロットの本を見返して、ハタと気づいたことがあった。

 

お見事なまでに、問題解決のキーワードを踏まえているのだ。

下は、「ケルト十字」というタロット初心者向けの解法である。

 

内部環境(内面)の分析

1 現状

2 原因(障害)

3 顕在意識(相談者が自覚していること)

4 潜在意識(相談者が無自覚であること)

5 過去

6 近未来(1~3カ月後)

外部環境の分析

7 相談者の立場(価値観、思い込み、態度)

8 周辺(周囲の評価、感情)

9 願望(問題解決への期待)

10 結論

 

 

おおっ、個人のお悩み相談はもとより、ビジネスツールとして十分使えそうな優れモノではないか。

 

相談者の問題のありどころを明らかにし(1~3)、背景と見通し踏まえながら(5,6)本人も見えていない「強み、弱み」を可視化する(4)。そして価値観を確認したうえで(7)、周囲の状況を客観視させ(8)、問題解決のゴールを定め(9)、それらしき解を暗示する(10)。

 

1~9まで相談者からうまく聞き出してストーリーにできた時点で、問題はほぼ解決したようなもんである。ちなみに、トヨタの「なぜなぜ5回を繰り返せ」とそっくりなタロットの解法もある。

 

おもえば、五欲から生じる人の悩みの本質は、今も昔も変わらない。これに折り合いをつけるための解決のプロセスも、そうは大きく変化していないのだろう。

 

ただ、占い師の道具は変わった、お香や水晶玉から、ビッグデータとコンピュータへ。クライアントの問題解決を生業にするカウンセラーやコーチ、コンサルは、現代の占い師なのだ。たぶん。知らんけど。

 

お役所コトバ考2

おもわず微笑んでしまった。先月実施した、自治体新入職員向けの、オンライン「公文書作成講座」の感想文を読んでいた時のことである。

 

「今まで『~以外は受け付けないものとする』『~と認識される』などの難しい表現が、公務員にふさわしい言い回しであると誤解していた。しかし、当講座で考えを改めた。自分の親やら友人の顔を思いうかべれば、今までの調子では、まともに理解してもらえるわけがない。今後は変な思い込みを捨て、最低限の書類とシンプルな表現で住民の方々とやり取りするよう心掛けたい」

 

100名以上の受講者のうち、こうした感想が少なからず見られたのは、うれしい限りである。

 

公務員に限らず、たいていの組織には独特の言語文化がある。役職名もそうだ。20年ほど前に大型合併をした鉄鋼3社では、合併直後に管理職がダブついてしまった。1つの組織に課長が3人といった状態である。どう呼びならわすか苦悩した結果、「大課長」「中課長」などといった、珍妙な役職名が現出したらしい。

 

初対面で「営業中課長」という肩書の名刺をもらい、(営業中(えいぎょうちゅう)の課長って一体…?)、と悩んだ取引先の人の数は、片手には収まるまい。

 

組織の中の規範が、外部にも通じるとは限らない。ジコチューなブランディングは迷惑なだけだ。誰が見るのか、目的は何なのか、ターゲットが定まったものが「名文」である。

 

最後に、先ほど見つけた、おもしろそうな本を備忘録代わりにひとつ

伝えたいことが相手に届く!公務員の言葉力

 

謦咳(けいがい)に接する

「謦咳(けいがい)に接(せっ)する」-細々と生きながらえていた慣用句である。が、今度ばかりは、引導を渡されたのではないだろうか。

 

では浅学菲才の身ながら、漢字から解説を。

 

「謦」「咳」も「のどや気管支が刺激されて、急に強く起こる呼気運動」である。つまり「せきばらい」や「せき」「しわぶき(古風な言い方)」のことだ。漢字源によると、カチンカチンと硬いものが当る音をあらわしているらしい。

 

意味は「偉い人の話を直接きくこと」。要は、エライ人のせきばらいがわかるぐらい、話を間近で聞けて誠に光栄、ということである。起源はハッキリしない。中国の古典が基となったという説もあれば、明治以降できたという説もある。

 

と、ここまで来たところで、冒頭「引導を渡された」と書いた理由が、賢明な諸氏にはおわかりであろう。

 

ほんの短い講演でも、マスク&フェイスガードの溶接工のようないでたちで、登壇しなければならないご時世である。咳払いでもしようものなら、「すわ、飛沫感染!」と主催者が駆け付け「先生、ご体調が悪いようでしたら別室へ」と隔離されることまちがいなしだ。

 

まさに「謦咳に接する」はする方もされる方も、命がけの行為になった。そして今、仕事はオンラインに移行しつつある。

 

書類のやりとりや打ち合わせは以前からオンラインが主だったし、その気になれば講義もすべてオンラインで代用できそうだ。録画だと、とちったりかんだりが(あまり)ない。リアルタイムのものも横道にそれることなく、ムダがない。聞いている相手にすれば、場所の制約がなくなるわ、時間は節約できるわで、一石二鳥かもしれない

 

今後、まぎれもなくオンライン化の流れは続く。「謦咳に接する」意義が見いだせない限り。

 

 

日本教の社会学

このたび、コロナ引きこもり期間中の「7日間ブックカバーチャレンジ」で、バトンを渡された。20歳ほど年下の友人のよしこさんからである。が、グズグズするうちに、自粛期間が終わってしまった。次への引き継ぎは諦めて、渡されたバトンそのものを、しげしげと眺めてみようと思い立ったわけである。


本は『日本教の社会学』で、初版は1981年。著述ではなく、対談だ。一人は、一世を風靡した『日本人とユダヤ人』の著者イザヤ・ベンダサンこと、山本七平氏、もう一人は、小室直樹氏である。小室氏については、数学者だったかなという認識程度(間違いではなかったが)であった。あらためて、よしこさんのアンテナの広さに頭が下がる。


中身は、太平洋戦争時の日本軍の意思決定プロセスをもとに、日本人と日本社会の本質を鋭く考察したものである。キーワードは「日本教」「空気」「実体語と空体語」など。碩学な二人による、口語と文語のちょうど真ん中をねらった70年代的文体で、濃密につづられている。よしこさん曰く「言文一致を試みた頃の滑らかさ」だ。


読後は、2つの意味でしんどくなった。


ひとつは、当時の‘空気’を知っている者ならではの、トラウマである。とにかく日本人特異論や日本社会独自論が、世上で横行していた時代だ。多くは「自虐史観」である。それらは教材として、学校教育にも頻繁に登場した。子ども心にウンザリした私は「日本人という普遍の属性を、どうせぇちゅうんじゃ」と内心毒づいていた。一流の評論であっても、未だに食傷感はつきまとう。


もうひとつは、21世紀も20年過ぎても、日本教はゆるぎなくシステムとして作動し続けている事実に、あらためて戦慄したからだ。醸し出される「空気」は、未だに忖度や自粛警察などの超常現象を生んでいる。一方で、コロナ第一波の死亡者の少なさは「場に従う」という日本教のプリンシパルが、おそらくプラスに働いたことによる。古代より幾たびか日本社会を襲った疫病の流行が、この行動様式をつくったのかもしれないとも思った。


場に従うことだけが、不変原則である日本教システム。全くのところ、これから「どうせぇちゅうんじゃ」。バブル期に新人類などと取りざたされた自分だが、自立、自律に向けての社会の変質に、全く貢献できていない。単なる変人のまま、なす術なく立ち尽くしているような気がする。

「のり弁」文書を作らないために

仕事柄、「のり弁」をよく目にする。

といっても食べるやつではない。モリカケ問題などでひんぱんにマスコミに取り上げられている、あちこちを黒く塗りつぶした公文書のことである。

 

公文書は、国民に対し政府の説明責任を全うする観点から、行政機関及び独立行政法人等が保有する文書についての開示請求権等を定めている(総務省HPから抜粋)。ただし、次の⑴~⑹は不開示情報に該当する。

*以下、めんどくさがりは箇条書き後ろの( )内だけ読まれたし

 

(1) 特定の個人を識別できる情報(個人情報)

(2) 法人の正当な利益を害する情報(法人情報)

(3) 国の安全、諸外国との信頼関係等を害する情報(国家安全情報)

(4) 公共の安全、秩序維持に支障を及ぼす情報(公共安全情報)

(5) 審議・検討等に関する情報で、意思決定の中立性等を不当に害する、不当に国民の間に混乱を 生じさせるおそれがある情報(審議検討等情報)

(6) 行政機関又は独立行政法人等の事務・事業の適正な遂行に支障を及ぼす情報(事務事業情報)

 

(5)、(6)などはいかようにでも解釈できるので、相手方は重要な部分をここぞとばかりに塗りつぶしてくる。そこを文字数と文脈から「眼光紙背ニ徹ス」眼力で推察していく。ところが、最近はとみに、のりの量が増え「だ」「である」とか「と」「や」とか、文末と接続語しか読み取れない傾向にある。気になるところだ。

 

と、前置きが長くなったが、このたびの熊本県・教育長ブログ「文科省通知の読み方」は、そんな物騒なケースではない。文章のなかで絶対に必要な部分以外を塗りつぶしたらこうなりました、という内容である。

 

実は、タハラの文章講座でも「必要な部分以外を全部消せ」というワークがある。その分量が一番多かった文書を「The King of Wakarinikui(わかりにくい)」として称えるのだが、この栄誉に属するのは、圧倒的に中央官庁が発行した公文書に多い。

 

どこがムダなのか。細かい点は・教育長のブログに譲るとして、ポイントは「命令形以外は全部ムダ」だ。公文書をはじめ、ビジネス文書の根幹はすべて頼みごと、つまり命令形にある。ただし、それをストレートに表現するとカドが立つ。そこで「お願い申し上げます」などとオブラートにくるみながら発信者の意思を表示する。

 

そう、文書とは話し手による意思表示なのだ。ほかはすべて枝葉である、と心得ることがビジネス文書上達の第一歩である。みなさん、覚えていてね。

 

最近、気づいたこと

最近、気づいたことがある。

 

ZOOMの脆弱性(ぜいじゃくせい)を、どれだけたくさんの人が「きじゃくせい」と読んでしまうかを。

コロナウイルスによる禍(わざわい)を、「コロナ渦(うず)」と書いてしまう人々がいかに多いかを。

賞賛・批判のツイートにどれほど数多くの「安部首相」「阿部首相」「阿倍首相」が存在しているかを。

 

右脳人間、左脳人間

研修の仕事の多くが、コロナ氏のせいで延期になっている。

ただし書き物関係の仕事はなくならない。話し言葉系、書き言葉系の両方の仕事をしているリスクヘッジがここで効いている。ありがたいことだ。

 

さて、現在閑古鳥中の講師業は、ビジネス文章作成関係が中心である。ただ最近ちょっとカラーの違った依頼が来るようになった。情報リテラシー、統計学の入り口を扱う分野である(一応資格を持っているので)。

 

というと、「うわぁ、右脳も左脳もすごいですね」とホメてもらえることがある。文理両道という意味なのだろう。でも統計は、論理(一応、専門)を拡張したものだ。それに文字と数字は、概念を抽象化・記号化したものだから、 根っこは一緒なのだと勝手に思っている。

 

そして、そもそも右脳=理数系、左脳=文系というステレオタイプは、大いなる誤解。疑似科学の典型らしい。

 

以前から、右腕と左腕とは違い、脳の右左はしっかりとつながっているんだからバラバラには動かんよな、と思っていたら、Despite what you've been told, you aren't 'left-brained' or 'right-brainedに動かぬ証左があった。2013年の古い記事だが、掲載はかの英ガーディアン紙だ。そこが右脳左脳を「都市伝説」と否定しているのだから、サ〇スポや週刊△性よりは信用度は高いだろう。

 

注意すべきはむしろ、個人個人の認知の偏りや自己の防衛本能(プライド)である。それらが、自分のワクを自分にはめ込んだり、やらない理由を探したりする際に、「右脳左脳」を言い訳にするのだ。記事はこうまとめている。

 

"Let's not underestimate our potential by allowing a simplistic myth to obscure the complexity of how our brains really work.’’(単純化された神話が脳の働き方の複雑さを曖昧にすることで、私たちの可能性を過小評価しないようにしましょう。)

 

ちなみに上訳は、最近とみに評価の高いDeepL翻訳であるが…現段階では生硬く、まだまだ人間様の活躍余地はありそうだ。みなさん、自分の脳みそにもっと自信を持とうよ。 

 

*参考記事 

Despite what you've been told, you aren't 'left-brained' or 'right-brained' (右脳、左脳神話のウソ)

Amy Novotney 'The Guardian' 16 Nov 2013

 

コロナ騒ぎ

ただただ、バカバカしいかぎりである。といってもウイルスの脅威そのものではない。

私が、バカバカしいと思っていることについては以下のとおり。

 

〇日本政府が、イベントや休校要請に際し、判断の根拠や実施基準を示さなかったこと

さらに

・実施した場合のメリットとデメリットを検討した様子がない

・中小・零細飲食業者に致命的な打撃を与えていながら、政府の首長たる人間が毎夜(おそらく高級料亭で公費による)飲み食いを重ねている。人気が失せた街の居酒屋でやれ、と言いたい

 

〇ヤフオクやメルカリなど大手フリマ業者が、マスク転売などについて価格や数量などの自主規制をおこなわなかったこと

ちなみに

・イオンなど一部流通業者は、店頭に不足物資(ティッシュ・トイレットペーパー)で万里の長城を築き、ドヤ顔で転売ヤーに見せつけた。こうしたあっぱれな業者の爪の垢を煎じて飲んでいただきたい

 

〇いまさらテレワークに走る企業

・現役世代の、子育てや家業との両立への怨嗟の声には応えない。自らの感染リスクには敏感なオッサン文化

  

ひとつ提案がある。

 

現在休校中の児童・生徒をガラガラの新幹線に乗せ、国会の傍聴にご招待してはどうか?

一斉休校を千載一遇のチャンスとして、国としての意思決定がどうなされているか、未来を担う若者らにしかと確かめてもらうのである。

 

感染症学会の以下のデータを見る限り、20歳未満の感染は軽症で済み、致死リスクは極めて低い。対して50代のリスクはその数倍、60代以上の閣僚クラスでは18倍以上だ。

 

平均年齢54.7歳、50歳代が6割を超えるオジサン議員たち。傍聴席から、未成年のつぶらな瞳と感染リスクのアツを受ければ、連日連夜の濃厚折衝もさぞや捗(はかど)るだろう。

 * 参考HP 日本感染症学会 水際対策から感染蔓延期に移行するときの注意点

社名の由来

「御社の○○にひかれました」と面接官の前でアピるそこの就活生さん、ちょっと待った。ちらっと見たHPや先輩訪問時の聞きかじりといった周知のリソースでは、ライバルと差をつけるのは難しいぞよ。ここはひとつ、会社のルーツに深く関わる「社名」に注目してみよう。

 

では、クイズを3つ。

 

1 創業者の名は「豊田(トヨダ)」なのに、なぜ社名は「トヨタ」なのか?

2 創業時、ダスキンの創始者、鈴木清一氏がイチオシとして考えた社名は?

3 「セメダイン」に込められた真の意図とは何か?

 

答えは以下の通り。

 

1 創業前年の昭和11年、公募した社名ロゴ「TOYOTA」のデザイン案を気に入ったから

すでに登録していた第一号国産車「トヨダ号」の商標を取り消し「トヨタ号」に変え、社名もトヨタにした。あの質実剛健なトヨタがデザイン優先で社名を決めたという、らしからぬ?逸話だ。

 

2 (株)ぞうきん

あまりのストレートさに「これじゃ嫁さんもらえない」という社内からの懸念の声が上がったらしい。これを受け、(株)サニークリーンとなり、のち「ダスト(ほこり)」+「ぞうきん」の「ダスキン」に落ち着いた。業務内容と語呂の良さを兼ねた見事なネーミングである。

 

3  打倒「メンダイン」

明治中期、英国製「メンダイン」をはじめとする輸入接着剤に、日本産のノリは駆逐された。創業者・今村善次郎は「メンダイン」を「攻め(せめ)る」をスローガンに苦節4年、汗と涙で初の国産接着剤を開発した。これがのち社名となる「攻め+(メン)ダイン」、だからなんだか強そうに聞こえるのだ。

 

ほかにも面白い話はいっぱいある。ロート製薬の最有力候補社名は「眼活」だった(今ならウケそうだ)、文化元年創業の「ミツカン」は、明治期に屋号「丸勘」の登録をライバル社に出し抜かれて急遽考えた、二番煎じの社名だったなどなど。社名にまつわるエピソードは尽きない。

 

どうだろう、とりあえず志望企業名の由来を調べるというのは。このネタだけで、人事担当者と10分ぐらい会話がもたないだろうか。

 

 

※参考:『誰かに教えたくなる「社名」の由来(2007)本間之英

TOYOTA、ダスキン、ロート製薬、各社HP「会社沿革」

 

「が」「は」の違い

日本語の奥深さを上から目線でお伝えする、「知ったかぶりの言語学講座」。

 

第1回目は、一字違いでエライ違い、がテーマである。題材は、ちょっと旬を過ぎた例の国外脱出騒ぎ。といっても「ビーン」か「〇ーン」かという固有名詞ではない。あくまでも語と語をつなぐ「助詞」に着目する。

 

さて、クイズを出してみたい。

 

中身不明の楽器ケースに貼るステッカー用に、キャッチコピーを考えるとしよう。×に入る言葉としては、「が」「は」、どちらが自然だろうか。

 

(1)ビーン「×」入っています。

 

この場合「が」が適当だ。「は」、だと「ビーン以外に何かメインが入っていることを期待したでしょ、あなた」というニュアンスが出てしまう。

 

翻って、これはどうだろう。

 

(2)ビーン「×」入っていません。

 

ちょっと悩んだ方もいるかもしれないが、「は」ではないだろうか。

 

この場合の「が」「は」の決定的な差は何か。

 

実は、聞き手に新情報を提供する場合は、「が」を使うことが原則である。昔ばなしが「昔々、おじいさんとおばあさんが」と必ず「が」ではじまるのと同じリクツだ。

 

ではなぜ(2)は、「は」の方がなじむのか。「ビーンは入っていない」は、新情報ではないのか? 確かに、そうかもしれない。

 

楽器ケースには必ず何か(普通は楽器)入っていることが前提になっているので「(ちゃんと楽器が入っています。)しかしビーンは入っていません」の前半のカッコの文が略されているというわけだ。つまり、聞き手が前提という情報を持つから、新情報ではない、というリクツか(自信がないが)。

 

もうひとつは、新情報云々(うんぬん)とは別に、文が動詞の否定形で終わっているからである。形容詞(楽しい、悲しいなど)や名詞(男性だ、レバノン人だ)、また動詞の否定形など「状態」を表す場合は、通常「は」を使う。

 

これを一瞬にして使い分ける日本語ネイティブってすごい。英米語、仏語、アラビア語、を自在に操る〇ーン氏が、在日約20年間、公式の場ではちっとも日本語を使わなかったのも、無理はない。

 

としのはじめのごあいさつ

っというまの2020年の一週間だった。

 

っして始業3日間もサボっていたわけではない。が、頭に全くエンジンがかからないのだ。休眠中のカエルがおこされるとこんな気分だろう。

 

だ休日モードで仕事のスタートが切れていないだけなのか。時間は連続的なもので、生物としては体内では正確なリズムを刻み続けているはずなのに、人為的な区切りに振り回されるのにはほとほと困ったものだ。

 

かたなく、年末にし残した作業に集中してみる。

 

や指を忙しく働かせる、脳が活性化されるかもしれないという期待だ。ということで?お休みモードの中から、あらためて

 

おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

クリスマス・シュトーレンのおはなし

クリスマスといえば、ドイツである。

クリスマスツリーを飾る習慣は、大英帝国・ヴィクトリア女王の夫君が、故国であるドイツの風習を王室に持ちこんだのがはじまり。また15世紀から始まったクリスマス・マーケットも、ドイツのドレスデンが発祥の地と言われ、今も多くの人々でにぎわう。

 

そんなイメージから「クリスマスをドイツで」と渡欧し、わりと痛い目に合った日本人は多いのではないだろうか。店やレストランからは閉めだされ、美術館は短縮営業。戸外のマーケットの寒さに耐えきれず近所の教会に飛び込むと、「一見さんお断り」でシビアな扱いを受けたりする。クリスマスは昔の日本の正月と同じで、基本的には家族で過ごす時期だからだ。

 

こうしたドイツのクリスマスに欠かせないのがシュトーレンだ。最近、よく見かけるものの、昭和の日本人に愛されたいちご丸ケーキに比べ、いまひとつ子どもウケしない味であろう。

 

それもそのはず、これは長期保存のための伝統食だ。15世紀にドイツ王がローマ教皇に、教会建立と引き換えにバターの使用を認めさせたエピソードを持つ代物である。材料や製法などの条件をクリアしないと、シュトーレンとは認められないのだ。

 

例えば「ドレスドナー(ドレスデンの)・シュトーレン」認定では、小麦100に対し70以上のドライフルーツ、油脂は40でその半分以上はバターを使え。手ごねで製造し、型を使うことはまかりならぬという厳しいお達しがある。

 

こうしてできたブツ1個の熱量は、1600カロリーを超える。成人女性の1日の必要カロリーに近い。だから12月の初めから少しずつ食べ始め、クリスマスにようやく食べ終わるのがドイツ流だそうだ。

 

日本の皆さん、カロリー超過が気になるこの時期、まかりまちがっても、一日で食べきらないように。

 

*参考URL 辻調グループ総合サイト 「食」のコラム&レシピ

 

 

新・論理力養成ギプス講座7-2 政界スキャンダルが起きると芸能人がタイホされるのか! の巻 2/2

『政府が問題を起こし、マスコミがネタにし始めると芸能人が逮捕される』の真偽を検証する明子。一徹の指導を受けながら、第2次安倍内閣(2012年11月20日~2019年11月19日)の「政界スキャンダル」「芸能人タイホ」の相関・因果関係を洗い出しはじめたが…

 

一徹:どうじゃ、明子。「政界スキャンダル」と「芸能人タイホ」の発生時期と内容は?

明子:ええ。あの…

一徹:よいか。以前に教えたとおり、2つの事柄の相関関係に因果(原因ー結果)関係があるかないかを判断するときには、次に注意するのじゃ

 

1 関連の時間性:原因は結果の前にあるか

2 関連の密接性:原因が結果に密接に関連するか

3 関連の特異性:原因が結果にどの程度かかわっているか

そして4の関連の普遍性じゃが…

 

明子:お父さん、それがね…

一徹:なんじゃ?

明子:ちょっとこの表を見て!

 

 

 一徹:原因→結果の順になっているのは今月の花見事件ぐらいか。あとは発生ー発覚ー報道までのタイムラグを考えても、時期が数か月以上ずれておる

 明子:これだと、さっきお父さんが言いかけた4「対象や時期などが異なっていても、類似した結果が得られるか」にあてはまらない。つまり因果関係が見られないってことね

 

 一徹:ただ、逮捕者リストにもとづいて最大効果を上げるよう綿密な準備をしておれば、政界スキャンダル発覚に先んじてタイホする手法もとれる。この理屈なら、結果と原因が前後しても因果関係が成立するぞ

 

明子:それはどうかしら。そんなリストと危機マニュアルを作成して、ちゃんと保管している可能性は低いような気がするわ。公文書は改ざん、招待客の明細書はすぐ廃棄、前夜祭の領収書すら作らない人たちですもの…

 

ーこの巻おわり

 

参考URL:NHK政治マガジン『安倍政権は、なぜ続くのか』

 

新・論理力養成ギプス講座7‐1 政界スキャンダルが起きると芸能人がタイホされるのか! の巻 1/2

明子:おほほ、Twitterで『政府が問題を起こし、マスコミがネタにし始めると芸能人が逮捕される。次期逮捕予定者リストがあって、誰かがゴーサイン出してるでしょ』ですって

一徹:明子よ、あながち荒唐無稽ともいえんぞ。ホリエモンという男なんぞも『頭に頭にウジ湧いてんな笑笑』と嗤(わら)っておったが

明子:まあ、そうなの?

 

一徹:1969年、FIFAワールドカップ南米大会予選、ホンジュラス⁻エルサルバドル戦でのことじゃ。サポーター達の衝突を政府があおり、両国は戦闘状態に入った。双方、インフレや政府高官の不正など、政府への不満がくすぶっておったからの

 明子:国内の不満をそらせるためにサッカーを戦争の口実に使ったの!?

一徹:と、言われておる。また90年代の東欧ではテレビ局と結託して、対抗する政党の政見放送中に、人気番組をウラ番組として流しておった。マスコミを使った選挙妨害じゃな

明子:そうやって、なりふりかまわず政権を保とうとすることが、現実にあったのね

 

明子:今の「政界スキャンダルが起きると芸能人がタイホされる」はどうかしら?これが本当かどうか論理的に確かめるためには、前回の宝くじの話のように確率を使えばいいの?

一徹:確率ではない、「相関関係」じゃ。2つの事柄(変数)がどれぐらい強く関係しているかをみるための、ものさし(尺度)のことよ

明子:そうだったわ。この場合「政界スキャンダルが起こる」たびに「芸能人がタイホされる」ケースが多ければ多いほど、相関関係が強いんだったわね。

 

一徹:さすが、わしの娘よ。相関関係があるからと言って、因果関係がある、すなわち「政界スキャンダルが起こる」が「芸能人がタイホされる」の原因になっているとは限らんのじゃが。逆に言えば、相関関係が無い場合は、因果関係もないと考えてよかろうて

明子:わかったわ、お父さん。まず相関があるかどうか考えてみましょうよ!

 

一徹:まずは、第2次安倍内閣(2012年11月20日~2019年11月19日)の「政界スキャンダル」「芸能人タイホ」を洗い出すがよい!

明子:2つともレベル感が難しいわね。「芸能人」にしても逮捕されてはじめて名前を知ったような人もいるし…

 

一徹:明子が何か選出の基準を持てばよい。キー局でレギュラー番組を持っているとか、ご近所10人が必ず知っているとか。「政界スキャンダル」は支持率に影響しそうな、という主観からじゃな。2015年夏の安保法案、2017年2月~翌年秋ごろのモリカケ問題、そして今の花見問題ははずせんじゃろう

明子:そうね。そう考えると事件(データ)の数は少ないのかしら…難しそうだけど、調べてみるわ

 

一次元オタクの聖地

The Geek Shall Inherit the Earth.(オタクが天下を制す)とのことわざが米国にあるらしい。が、Geek=オタク、すなわち二次元種族を囲む生温かい偏見は、いまだわが国の三次元空間に満ちている。数こそ多いがマジョリティになれないマイノリティ、それが「二次元」であろう。

 

ところが、二次元(平面)よりさらに次元が低い一次元(線)、つまり文字と記号の世界に淫する輩への評価はまるで違う。

 

「読書家」「博学の徒」などと崇められ、学校の課題作文などでは、全生徒の目前で表彰状の贈呈をもって称えられる。普通のオタクよりさらに次元の低いオタクに文科省のお墨付きを与えるのはなぜか。世の七不思議である。

 

オタクに聖地は数々あれど、一次元オタクの聖地はただ1つ、図書館である。高い天井の下の沈んだ空気、しっとりとした紙の匂いは聖地の佇まいにふさわしい。

 

ドイツのウルムから数キロにあるヴィブリンゲン大学内にある、南ドイツで一番美しいという図書館。写真はその天井画である。かつては修道院付属の図書館として、ドイツで最大の蔵書数を誇ったらしい。字を読むことができるのは、近世までは教会関係者をはじめ、ほんの一握りの人たちだった。羊皮紙の書籍を抱え行きかう修道僧たちの姿を想像しつつ、キリスト教世界以外にも知が開かれた、21世紀のありがたさが身に染みた。

 

新・論理力養成ギプス講座 6 「宝くじで期待値計算」の巻

明子:お父さん、今日は珍しいものを買ったの。

一徹:なんじゃな?

明子:うふっ、宝くじよ、秋のビッグチャンスくじ。1枚2百円だけど一等は3千万なの。年末ジャンボくじに比べて当選確率が高いらしいわ。飛雄馬にも新しいグラブを買ってやれるかしら。

一徹:全部で何本売り出すのかな?

明子:確か300万枚だったかしら、1等前後賞がそれぞれ1千万円、1等組違い賞10万円が29本、2等30万円が90本、3等5千円が6,000本、4等1千円が3万本、5等30万本でも買った金額分の2百円がもらえるわ。それと、実りの秋賞が10万円が600本なの。

 

一徹:ふん、わが娘でも女とは話せんわい。そんなくだらんことでムダ金を使うとはな!

明子:まあ、ムダ金ですって?

一徹:当たり前よ。1等3千万円の当選確率は0.00003%、前後賞でも0.00006%じゃ。

明子:確かに小さな数値だけど、そんなに低い確率なの?

一徹:まさに天文学的よ。日本国内で交通事故で死ぬ確率は最近では0.003%前後。つまり、1等当選確率の100倍近くじゃ。

明子:まさか!

 

一徹:そもそも、宝くじ金額の払戻率は、50%以下と法律で決まっておる。80%以下とされておる競馬や競輪よりはずっと低い。
明子:なんてことかしら…。

一徹:明子よ、それぞれの賞の当選確率に賞金を掛けた和、期待値は87円。つまり払い戻し率は43.5%、これを見るだけですぐわかるじゃろう。ものを買うときには計算ぐらいせんか!

明子:お父さん、確率の計算を習うのは中学生以上なの。あたしはお母さん代わりにずっと家事をしてきたから、学校もろくに行っていないのよ。

 

明子、うつむく。一徹、にじむ涙を見られまいと天井をにらむ。

 

南独・クルマ事情2 道路を走るクルマの面々

前回の「南独・クルマ事情1」の続き。
国境の街リンダウから、オーストリア経由でスイスに向かう。スイスとオーストリアの高速道路は有料なので、あらかじめ購入した年間パスをフラントガラスに貼っておく。
ドイツから出たとたん、道路のガタガタと例のあおり運転からやや解放された。国境をもうひとつ越えスイスに入ると、チェコやデンマークなど、遠方からのクルマも増えてきた。 クルマの国籍は多様だが、その7割はドイツ車である。筆頭はフォルクスワーゲン(VW:さすが「大衆の車」)で、続いてBMW、ベンツ、アウディ(これもVWグループ)の順に多い。その他で目立つのはボルボやフィアット、ヒュンダイ。日本車は全体の1割弱となかなかの健闘ぶりである。 日本車のプチ人気は、価格が安いのに加えて、マツダや三菱などを中心にディーゼルエンジンに力を入れているからだろう。そう、「環境意識の高いドイツ」圏で見かけるのは、ほぼガソリン車とディーゼル車である。電気自動車はおろか、ハイブリッドらしきクルマも目にしない。 そりゃそうだろう。2019年現在、テスラの上級車種でも、充電満タンの走行距離はたったの600キロ。バカンスにはクルマの後ろに荷物を引きずって、一日数百キロの移動をこなすドイツ圏住民のニーズに、応えられるようなパワーレベルにはない。 それでもVWやBMWなどは、2030年のディーゼル車完全禁止のシナリオをにらみ、テスラ相手に電気自動車の開発競争にしのぎを削っている。「環境意識の高いドイツ」という枕詞は、「ドイツ車ユーザーのために、われわれは環境意識を持ってクルマを開発しています」というメーカーのスローガンに過ぎないような気がする。

南独・クルマ事情1  あおり運転はドイツでどうぞ

ドイツ・ミュンヘンからあちこちに立ち寄りつつオーストリアを経てスイス、その後シュツットガルトに戻りフランクフルトへ、題して『名車・DSで行く南ドイツ〜スイス12日間』。海外での運転ははじめてではないが、右車線走行はビクビクものであった。よくぞ無事に走破したものだと我ながら感心する。

以下は全走行距離1,500キロ、2019年9月末~10月初旬に主に南ドイツを運転した中での雑感である。

●制限速度は最低速度
かのアウトバーン(A道路)の制限速度が130キロであるのは有名な話だが、一般道も負けてはいない。路肩がタイヤのすぐ脇に来るような狭い田舎道でも、制限速度100キロはザラである。ほとんどのクルマは、大雨の中やボコボコ道、どのような悪条件でも、制限速度の上限で元気よく走っている。カーブでも速度を落とさず、勢いよく曲がる。ちなみに全ての道路はタダなので、それ相応の状態である。しかもA道路>M道路>L道路の順で道は悪くなる。 ●車間距離は車2つ分
時速150キロであれ30キロであれ、きっちりクルマ2つ分空けて前車に続くことが、南ドイツの流儀と見た。バックミラーでは運転手の顔がわかるどころか、表情まで読み取れる。無表情な大男が運転するSクラスのベンツが後ろにはりつく圧迫感、日本なら「あおり運転」認定は間違いない。となりの車線に回避できる時はよい。ほぼ1車線のL道路では、あおりの恐怖が延々と続く。そして対向車線からは、マン社のはみ出しトラックが、うなりを上げてこちらに迫ってくる。 ●停まる時は停まる
市街地に入る前にはきっちりと速度を落とす。道路を渡ろうとしている人を認めると、横断歩道の手前でお行儀よく停止する。また田舎道を占拠する羊に対しても、道路をはみ出して回避しようとせず、群れが最後まで渡りきるまで辛抱強く待ち続ける。 では道を爆走するクルマのラインナップは?南独は、ベンツやBMW、ポルシェなど数々の名車を輩出するクルマづくりのメッカでもあるのだ。この話は次回に。

反エロ、反日?

ヨーロッパ行きの某中国系航空機内で映画『ボヘミアン・ラブソティ』を見た。終わって気づいたことが2つある。

まずはシンプルな表音文字がないと大変だよのう、だ。字幕に出ていた主人公フレディの名が「ドルに手ヘン、菜っぱみたいな字、由にしんにょう」の漢字3文字になってしまう。こうした類の漢字の選択は誰がするかなという、素朴な疑問も頭に浮かんだ。

次に、いくつかのシーンがカットされており、それらに2つの共通項があることだ。

ひとつはフレディが男性マネージャーにキスされたり、生涯のパートナーとなるジムの後ろ姿に一目惚れ、おもわずおいどを撫でてしまったりする場面。もうひとつは、クイーンメンバーが「東京」の名に胸を踊らせたり、羽田空港で熱狂的な歓迎を受けたりする場面である。つまり、同性愛エロと日本に関する描写である。

エロに関して言えば、社会主義大国を標榜していた80年代、その種の検閲が非常に厳しかった記憶がある。

私が通っていた大学の中国語学科では、来日する純朴な男子留学生をエロビデオとエロ本で「おもてなし」する習慣があり、彼らを大いに悦ばせたらしい。ところが、ある留学生がこれらを自ら購入、後生大事にトランクの底に忍ばせ帰国したところ、税関で発覚、大問題となったと聞く。現在もエロには厳しいのか、それとも男色のみが禁忌の対象なのか。 そして、日本の描写カットの理由について。中華人民共和国という国自体が、旧日本軍の侵攻と敗退の上に成立したことが影響しているのだろうか。

そんなことをおもいつつ、隣の中国人男性が見入っている画面に目をやると、封切られたばかりの日本映画『スマホを落としただけで』、手にしたスマホのWeChatのアイコンはあの『リーガル・ハイ』だった。人の興味は、金盾(グレート・ファイアウォール)を楽々と超えるようだ。

 

一期一会

現在、私はフヌケ状態にある。足掛け一年半手がけてきた社史が、ようやく発刊の運びになったのだ。

 

社史づくりは大変な仕事である。とりわけクライアントさんにとっては、苦楽しい作業ではないだろうか。社業の合間をぬって、ルーツや出自、成長の理由、自社ならではの強みや弱みなどを、古い資料やインタビューから歴史を絞り出していく。思いがけない過去に出会ったり、どうしてもたどれない出来事があったりするのはしょっちゅうである。

 

それを通じて得るのはおそらく「結局、われわれは何者なのか」という、自社の価値であろう。単に現業の事業領域(ドメイン)やいわゆるコア・コンピタンスだけではない。バリューなどといったファストフードもどきの薄っぺらい言葉でも、表すことはできない。もっともっと深遠な、普遍的で社会的な存在意義であるような気がする。

 

加えて、このたびの社史は思いがけない大役を担うことになった。完成を楽しみにしていた社長の急逝という出来事を経て、創業家の大切なメモリアル・アルバムとなったのである。

 

社史の名の通り、まさに「一期一会」のお手伝いとなった。現社長をはじめ、このような社史制作へのご縁を結んでいただいたすべての方々に感謝を捧げたい。

 

弱き者よ、汝の名は女なり

 

昔々、バブル期の少し前のころ。、日本にのある保険会社に、タハラというKYな女子がおったそうな。適当に就職して適当に働いておったが、ある時、人事部から声をかけられた。

 

「お上からのお達しにより、ウチの社も『女性総合職』を創ることとなった。キミ、なってみるか?」。聞くと、仕事内容は変わらず、当時の一般職の給料とボーナスからは大幅アップ。転勤はタテマエとしてあるが、まま、それは配慮しないこともないので、ということだった。タハラは二つ返事で引き受けた。一応、試験と面接はあったが、ゲタをはかせてもらったのか、めでたくパス。総合職に転換した。

 

「転換制度導入後、初の女性総合職」―会社から、やれ女子学生向け採用セミナーで話をしてくれ、やれ宣伝TVに顔出ししろなどという声がかかる。ところが、タハラの仕事はいわゆる決算公告であったので、繁忙期が当時の採用のピークともろに重なった。でもほかに対応できる立場の人材がほぼいない。キレイ事の会社説明に予定調和の応答、そんなことに1日数時間が費やされる。短気なタハラのなかで、マグマがふつふつと煮え立ってきた。

 

そんなある日、タハラはカルデラ爆発級の噴火を起こした。採用セミナーで、女性総合職としての自負と気概とは、などといういかにも人事受けをねらった質問を学生から受けたときのことだ。

 

「やってる仕事内容や責任感は以前と全く変わりません。総合職と言っても、男性という白人社会の、まあ、『名誉白人』みたいなもんです。一般職の評価が低すぎるんですよ」。

タハラは採用関係イベントには二度と呼ばれなくなったそうな。

 

その後、バブルが崩壊し日本経済は下降の一途をたどるなか、タハラは結婚することになった。もちろん仕事は続けるが、と年の近い上司に告げたとき、こう言われたらしい。

 

「なあ、本音で聞かせてほしいんやけど。俺やったら、相手が養ってくれるんやったらすぐに会社やめるんやけどな」。1回目は笑ってやり過ごしたが、そんなやりとりが数回続いた結果、また小噴火が起こった。

 

「でも、一生安泰で連れ添ってくれるとは限りませんよ。相手から放り出されるリスクがありますからね」。

その上司はバツイチだった。KYな者、汝の名はタハラなり。1週間ぐらい、上司は口を利いてくれなかったらしい。

 

タハラはその後、紆余曲折を経て会社を辞めた。あいかわらず不器用に生きているが、細々と仕事は続け、連れ合いからも放り出されず、幸せに暮らしているとさ。めでたしめでたし 

 

ホンマにあった怖い話

のんびり屋のお兄ちゃん、元気いっぱいのお姉ちゃんにちょっぴりはにかみ屋の妹さん。仲よしA氏一家の3人のお子さんが所属する、乗馬クラブでの出来事である。

 

A氏の日課は、子どもたちのレッスン前、騎乗予定の馬にニンジンをやることだ。その日は、お兄ちゃんと妹さんはすでに身支度を終え馬上にいた。A氏は、まだ姿を見せない中の娘のために「振り落とさないでくれよ」とワイロのニンジンを馬にやったとき、「お父さん!」、遠くから娘の声が聞こえた。顔を上げた途端、右手小指に激痛が走った。思わずしゃがみこんだ地面の先に、何かが転がったのが見えたという。それは、A氏の小指の先だった。

 

「お医者さんを!」周囲が血相を変えて走り寄ってくる。お兄ちゃんが、指を氷漬けにして病院に付き添ったらしい。失血はさほどではなかったが、担当医には「小指はねえ…。動物の歯は雑菌が多いので、接合手術はお勧めしません」と告げられた。医師であるA氏は、事態を理解し、接合を断念した。 

 

A氏は、分厚く包帯した小指を眺めながら「なんか中途半端な傷跡なんで、ここから指がニョキニョキ生えてきそうな気もするんですけどねえ」と語ってくれた。医師としてのプロの見立てである。そのうち再生するに違いない。

 

 教訓:エサやりは 必ずパーの 手でしてね(神戸市立王子動物園の注意書きより)

 

 

お前はもう死んでいる

 自宅のエレベータが故障した(ささやかなホームエレベータである)。

 

高齢ながら閉じ込められた家人は自力で脱出。「突然停まったぞ!」とメンテナンス契約をしているメーカー某社のコールセンターに怒りの一報を入れた。噛み合わない会話でたらいまわしにされた(らしい)挙句、やっと一週間後に点検員がやってきた。機械室で何やらガタガタすると、ようやく動き出した。

 

どこが悪かった、という質問に「あ、機械が古いので」。ろくろく説明もせずに新品エレベータのカタログを置いて帰ってしまった。その2週間後、案の定またエレベータが停止。今度は違う点検員が来て言うことには、機械部品の交換が必要だという。部品の有無を調べて、1週間以内に折り返し連絡するとのことだった。

 

待つこと10日、家人が、しびれを切らして点検員が置いていった名刺に電話すると「部品がありましたので、先日その旨を書いた郵便を送付しましたが」と言う。ソバ屋の出前である。いい加減にしろ、こちらのアドレスを教えるからメールで送れといったとき、先方はこう返答したらしい。

 

「当社では、メールでのやりとりはしておりません。FAXでのやりとりならできますが」

 

「今どきFAXだけとな!」昭和ひとケタの家人が電話口で驚愕した。下請け会社とはいえ、日本を代表する企業の看板を掲げる窓口が・・・。相手は、はい、当社はこれで大丈夫です、と答えたという。

 

さすが、経団連会長が、執務室にPCを持ち込んだだけで話題になる国のことはある。現会長よりひと回り以上年長の家人は「モノ作りでもサービスでも、もうこの国は終った」と嘆いている。

 

オジサン女子のひとりごと

オジサン女子とは何か。それは、次のような行動特性により分別されるそうだ。

 

1いきつけの居酒屋がある

2お酒のつまみが渋い

3カクテルなど甘いものは飲まない

4メールは常に簡潔で用がないとしない

5おしぼりで体を拭いてしまう

6若い女の子をおっさん目線で可愛がる

7男性ウケをまったく意識していない

8言いたいことを言う 

イケジョ通信〉より改変

 

ううむ、1と5以外は当てはまる私はオッサン女子か、とおもいきや「このような行動をとる若い女性」が定義らしい。ということは、若くないオジサン女子=オバサン。でもオジサン女子の漂わせる匂いは、オバサン臭さとは微妙に違うような気がする。

 

そこでオバサンの定義を、30代の男性100人のヒアリングしたというサイトにすがってみた。

 

1立つときに「よっこいしょ」

2「私、オバちゃんだから(笑)」という“前言い訳”

3「あれ、どうだった? あれよ、あれ!」(「これ・それ・あれ・どれ」多用) 

4「それいくら? と値段を聞きたがる」

5「私、何歳に見える?」

6用事があると言うと「あら○○君、デート(笑)?」

7「昔はクリスマスと言えばシティホテルで……」とバブル語り

8「最近の女子は、甘えてるからなあ」  

 〈女子SPA!〉より改変

 

3以外は当てはまらなかった。

 

オジサン女子の共通項が「花よりだんご」「質実剛健」であるのに対し、オバサンは1以外は'self-centered’(ジコチューとはまた違う)。自分が世界の中心であり、価値基準であることに微塵も疑いをはさまない堂々とした態度である。だから「そんなん知らんし」との若者のつぶやきを、誘いがちなのだろう。

 

ヒトはすべて、’self-centered’として生まれる。

 

その後ヒトは、子ども時代に、自分が世界の中心でないことにふと気づく。自分がそこまで他人に関心がないように、他人は自分のことをそんなには気にしていない。この気づきから他人の視線や思惑などの、いろんな縛りを捨てて脱皮していく。その途上にあるのが「オジサン女子」、片やそのまま自意識を肥大させてしまった未熟な存在が「オバサン」なのかもしれない。 要は、ヒトとしての成熟度の違いである。

 

ではオッサンとは何者なのか(オジサンではなく)。これは「劣化するオッサン社会の処方箋」に解説を譲りたい。

 

女の敵は女

よく耳にするセリフであるが、私にはあまり実感がない。

 

仕事でも私生活でも、やりたい方向に向かう私の足を引っ張ったのは、ことごとく男どもである。もちろん、それと同じぐらい手を差し伸べてもらったり、後押ししてもらったりしたことがある。だから’敵度’は、全体としてプラスマイナス相殺でなんとかプラスであろうか。

 

これに対し、女性からは総じて恩恵を受けてきたと断言できる。チャンスをくれたり、窮地でだまってサポートしてくれたりしたことは数えきれないぐらいだ。

 

協同作業をするときも、忙しいときは女性の方がやりやすい。女性だと任せっぱなしでもなんとかなるが、男性だと見当違いの方向にいきそうになって、あわてて軌道修正する羽目になることがちょくちょくある(※個人の意見です)。

 

でもこの足手まといの行為も、時によい副産物をもらたらすので、必ずしも悪いことばかりではない。結論として、私の中では女の敵は女ではなく、もちろん男でもない。

 

では、真の敵はだれなのか。

 

それは「女と女の諍(いさか)い」とレッテルを貼り、冷ややかに眺める社会の目だとおもっている。ワンオペ育児やママ友とのストレスも、女性管理職へのやっかみも、女同士がうまくやれないからではない。孫子の言う、状況の産物である。

 

ついでに言えば、「子供最低3人くらい産むように」は女性の問題ではない。マリア様のような出産形態は、最新医療技術をもってしてもムリなのだから。

 

 

サムスンとテスラ

サムスンとテスラ、パナソニックの三角関係の行方やいかに。

 

4月、テスラは、パナと共同で経営する世界最大のEV向けの車載用電池工場「ギガファクトリー1」(米ネバダ州)に対する数千億円規模の追加投資を凍結宣言。そのあげく?に、パナの電池生産が「モデル3」の生産の足を引っぱっているとツイートしたものだから株価は急落する。

 

一方でテスラは、昨年末、パナ蓄電池競争のライバル・サムスンSDIと契約、また今年に入ってサムスン電子と自社開発の半導体設計を発表する。こうした元カノ・サムスンとの親密ぶりが話題になっているから、パナは内心穏やかではあるまい。「テスラとパナソニックは単なるサプライヤーではなく、パートナーという認識で一致している。一蓮托生の関係だ」。と奔放な夫に振り回される糟糠の妻のようなセリフを吐いた、津賀社長の心中は察するに余りある。

 

移り気で赤字垂れ流しのテスラ(次の四半期は大幅黒字の見込みらしいが、このセリフは聞き飽きたぞ)。CEOのおっさんの言動を観察していても、ホンマに末永く愛される乗り物を大量生産する気があるのか、市場操作で稼ぎたいだけではないか、と首をひねりたくなる。

 

信用ならんアメリカ系夫に危機感をつのらせたか、トヨタとの交際をはじめるパナ妻だが、もうちょっと早くなんとかならなかったのかなぁ。両社とも。

メタ認知

 最近「シワ、シミを制する!」「オトナの匂い対策、はじめませんか?」などのリスティング広告にがやたら現出するようになった。パソコンにこんな忠告を受ける年まで生きた、という感慨の一方、中途半端な年齢に困ることもある。着るもの、のことだ。

 

ここ数十年、体型がさほど変わらないのは、安上りでたいへんに結構である。しかし、若いころ好んで着ていたタイプの色や形が、似合わないと感じることが増えた。そこで参考のため、通勤電車で同年齢と思しき女性のファッションを観察することにした。

 

観察によると、ファッションに敏感な層は、微妙に2タイプに分かれる。「若々しい」と「若づくり」である。努力を尽くした結果、前者は見かけ年齢<実年齢に成功、一方、後者はイタさを感じさせたうえに、見かけ年齢>実年齢に見えるのだ。なぜか。

 

これはおそらく、ご本人たちの「メタ認知」の違いだ、と推察する。

 

メタ認知とは、「自分を客観視できる能力」である。ハイパフォーマーのコンピタンスとして知られているが、普通の人でもなければ不便な能力だ。たとえば、道路上で自分の立ち位置がメタ認知できなかったら、通行を妨げ、必要以上に人に突き当たられる。

 

つまり、先述の「若々しい」タイプは、見られる自分を客観的に見ている。若さに価値を置く世界では勝負できない。そこを心得たうえで、自分の魅力を最大限に活かす装いは何か熟知し、その知を活用している。まさにメタ認知力の勝利だ。

 

そんなことを考えながら輪行バックを肩から下げて駅のホームを歩いていると、後ろから駅員に呼び止められた。

「そこのボク、輪行バックのチャックは、最後までちゃんとしめてから電車に乗ってね」

野球帽と輪行バック、ジーンズはメタ認知的には「小中学生」だったか。究極のイタい若づくりであった。

 

 

某人気占い師の文章力

最近、やたら表示されるターゲット広告は「占い」である。年末に『マクベス』について調べ物をしたことが祟ったらしい。(「今年こそ恋愛、結婚を成功させる!」などと今も表示されているので、既婚者であることは見抜かれていないようである)

 

私は、ふだん占いに関心を向けることはほとんどない。オカルトブームのさなかに育ったせいか、星占いからタロット占い、易経までひととおり調べ、子ども時代で早くも興味が尽きてしまったのだ。

 

が、そこは広告の威力。ひんぱんに表示される、女性向けWeb雑誌の人気占いコーナーが妙に気になり、サイトをちょこっとのぞいてみた。この占い師が、ウケる理由がよくわかった。2重の意味で文章がうまいのだ。

 

1つめのうまさは、あいまいさである。かつ「こんなことがあなたに起こるかも」という結果提示型を避けている。

 

その代わり「あなたの現状は、こうじゃないですか?」と、問いかけからからスタートする。そののち、読み手(に起こりがち)の心情に沿いながら、「そんな状態だと、このようになりますよね」と、今後をシュミレーションしながら、対処法をやんわりと提案していく。つまり、自分の書いたシナリオに、読み手をプロセス巧みに誘導しているのだ。

 

もうひとつは、励ましとポジティブな文言に満ち満ちていることだ。「~しなければ~しないだろう」といった、ベテラン占い師(例えば細**子氏)によくみられるような否定語が、極端に少ない。

 

もともと、占い(予言)の本質は、脅すことにある。キリスト教や仏教の終末思想も、その一種で、「悪いことすると地獄に落ちるぞ」だ。しかし、人間、脅されるだけではやってられない。そこに派生したのが、マリア様やお地蔵様など、ご本尊のワキを固める方々からの癒しである。宗教は、こうやってアメとムチとで人間を正しい道に導く。

 

癒しながら道を示す?WEB占い師は、さしずめ現代のマリア様・お地蔵様役なのか。となれば、人々をムチ打つ万能の神は誰だろう。ひょっとして「AI」か?

 

 

年の初めのブログとて

もう、1月も中盤ではないか。しかも、今年初ブログとはこはいかに。週一回を標榜しつつ、相変わらずのんびりとした更新っぷりである。

 

ブログをサボっている間、(私にしては)大きな買い物をした。ハイブリッド車である。先代が白で、駐車した時の捜索に苦労した経験があるので、白や黒やグレーなどの見つけにくい色は避けたい。さりとて青や赤や黄などの自己主張が強い色は困る、ということで選んだ、渋めの「オリーブグリーン」。

 

納車当日、一目見て驚いた。ひとことで言えば、『カナブン』だ。玉虫色に光り輝いているのである。どこがオリーブじゃ、カタログ作ったやつの色覚は大丈夫か、と某自動車メーカーの社長に声を大にして言いたかった。

 

ただし、あちらは別件で東京で拘留中なので、地方の1ユーザーの声は届くまい。取り換えはできないだろうから、ド派手なこの色に慣れるしかないか。

形容詞的組織文化 2

 

前回「形容詞的組織文化1」の続き。

 

では、形容詞的組織文化とは何か。定義すれば、「会話やメールなど、やりとりの文の述語がだいたい形容詞・形容動詞で終わる組織」である。形容詞的組織文化(略してKTSBとしようか)でよくみられる表現として、いくつか例を挙げてみよう。

 

●「業績がよい」「業績が悪い」  cf.「業績が上がった」「業績が落ちた」

●「仕事が多くなって大変になった」 cf.「仕事の量が増えて、こなしきれない」

●「そこが本当に問題だ」 cf.「問題の本質はそこだ」

●「手が汚い」  cf.「手が汚れている」

●「作業が遅い」 cf「作業が遅れている」

 

さて、印象としてどうか。後者の動詞的な表現に比べると、前者が主観的・感情的に響くことに気付かれたとおもう。

 

ちょっと専門的なことを言えば、形容詞には「属性形容詞」と「感情形容詞」がある。特に「感情形容詞」は、話者の内面から見た景色を表現するのに長けている。裏返せば、客観性が欠如、つまりメタ認知に乏しい伝え方ということになる。そんな表現がデフォルトになっているのが、KTSBなのである。

 

さて、みなさんの組織の述語はどうか。動詞的か、それとも形容詞的か?

 

 

参考文献:辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術(2015)PHP新書 

 

あこがれの占い師

オカルトブームのさなかに子ども時代を過ごしたタハラの将来の夢は、「占い師になること」であった。理想の職業にみえた理由は以下とおりだった。

 

・元手がかからずに開業できそう

・当たらなくても責任を取らなくてよい

・とにかく、ブームである

 

なんとも冷めた小学生である。

 

とにかくスキルを身に付けなきゃいけない、ということで、占星術、トランプ、タロット、手相・人相、易学、など、中学生になるころにはひととおりの本は読んだ。友達を相手に実践も積んだ。ところが、ぜんぜん覚えられない。

 

原因はおそらく、占いの本がどれも大人向けで、難しかったことによる。つい「なぜそうなるのか」と考えてしまう性癖も災いした。人間、納得感なしに丸暗記するのはなかなか苦しいものだ。

 

そのうち、空前のオカルトブームは去り、占い師への夢もあせた。お小遣いをはたいて買った、多くの占いグッズや本が手元に残された。その多くは処分してしまったが、大人になってから、当時のタロットの本を見返して、ハタと気づいたことがあった。

 

お見事なまでに、問題解決のキーワードを踏まえているのだ。

下は、「ケルト十字」というタロット初心者向けの解法である。

 

内部環境(内面)の分析

1 現状

2 原因(障害)

3 顕在意識(相談者が自覚していること)

4 潜在意識(相談者が無自覚であること)

5 過去

6 近未来(1~3カ月後)

外部環境の分析

7 相談者の立場(価値観、思い込み、態度)

8 周辺(周囲の評価、感情)

9 願望(問題解決への期待)

10 結論

 

 

おおっ、個人のお悩み相談はもとより、ビジネスツールとして十分使えそうな優れモノではないか。

 

相談者の問題のありどころを明らかにし(1~3)、背景と見通し踏まえながら(5,6)本人も見えていない「強み、弱み」を可視化する(4)。そして価値観を確認したうえで(7)、周囲の状況を客観視させ(8)、問題解決のゴールを定め(9)、それらしき解を暗示する(10)。

 

1~9まで相談者からうまく聞き出してストーリーにできた時点で、問題はほぼ解決したようなもんである。ちなみに、トヨタの「なぜなぜ5回を繰り返せ」とそっくりなタロットの解法もある。

 

おもえば、五欲から生じる人の悩みの本質は、今も昔も変わらない。これに折り合いをつけるための解決のプロセスも、そうは大きく変化していないのだろう。

 

ただ、占い師の道具は変わった、お香や水晶玉から、ビッグデータとコンピュータへ。クライアントの問題解決を生業にするカウンセラーやコーチ、コンサルは、現代の占い師なのだ。たぶん。知らんけど。

 

お役所コトバ考2

おもわず微笑んでしまった。先月実施した、自治体新入職員向けの、オンライン「公文書作成講座」の感想文を読んでいた時のことである。

 

「今まで『~以外は受け付けないものとする』『~と認識される』などの難しい表現が、公務員にふさわしい言い回しであると誤解していた。しかし、当講座で考えを改めた。自分の親やら友人の顔を思いうかべれば、今までの調子では、まともに理解してもらえるわけがない。今後は変な思い込みを捨て、最低限の書類とシンプルな表現で住民の方々とやり取りするよう心掛けたい」

 

100名以上の受講者のうち、こうした感想が少なからず見られたのは、うれしい限りである。

 

公務員に限らず、たいていの組織には独特の言語文化がある。役職名もそうだ。20年ほど前に大型合併をした鉄鋼3社では、合併直後に管理職がダブついてしまった。1つの組織に課長が3人といった状態である。どう呼びならわすか苦悩した結果、「大課長」「中課長」などといった、珍妙な役職名が現出したらしい。

 

初対面で「営業中課長」という肩書の名刺をもらい、(営業中(えいぎょうちゅう)の課長って一体…?)、と悩んだ取引先の人の数は、片手には収まるまい。

 

組織の中の規範が、外部にも通じるとは限らない。ジコチューなブランディングは迷惑なだけだ。誰が見るのか、目的は何なのか、ターゲットが定まったものが「名文」である。

 

最後に、先ほど見つけた、おもしろそうな本を備忘録代わりにひとつ

伝えたいことが相手に届く!公務員の言葉力

 

謦咳(けいがい)に接する

「謦咳(けいがい)に接(せっ)する」-細々と生きながらえていた慣用句である。が、今度ばかりは、引導を渡されたのではないだろうか。

 

では浅学菲才の身ながら、漢字から解説を。

 

「謦」「咳」も「のどや気管支が刺激されて、急に強く起こる呼気運動」である。つまり「せきばらい」や「せき」「しわぶき(古風な言い方)」のことだ。漢字源によると、カチンカチンと硬いものが当る音をあらわしているらしい。

 

意味は「偉い人の話を直接きくこと」。要は、エライ人のせきばらいがわかるぐらい、話を間近で聞けて誠に光栄、ということである。起源はハッキリしない。中国の古典が基となったという説もあれば、明治以降できたという説もある。

 

と、ここまで来たところで、冒頭「引導を渡された」と書いた理由が、賢明な諸氏にはおわかりであろう。

 

ほんの短い講演でも、マスク&フェイスガードの溶接工のようないでたちで、登壇しなければならないご時世である。咳払いでもしようものなら、「すわ、飛沫感染!」と主催者が駆け付け「先生、ご体調が悪いようでしたら別室へ」と隔離されることまちがいなしだ。

 

まさに「謦咳に接する」はする方もされる方も、命がけの行為になった。そして今、仕事はオンラインに移行しつつある。

 

書類のやりとりや打ち合わせは以前からオンラインが主だったし、その気になれば講義もすべてオンラインで代用できそうだ。録画だと、とちったりかんだりが(あまり)ない。リアルタイムのものも横道にそれることなく、ムダがない。聞いている相手にすれば、場所の制約がなくなるわ、時間は節約できるわで、一石二鳥かもしれない

 

今後、まぎれもなくオンライン化の流れは続く。「謦咳に接する」意義が見いだせない限り。

 

 

日本教の社会学

このたび、コロナ引きこもり期間中の「7日間ブックカバーチャレンジ」で、バトンを渡された。20歳ほど年下の友人のよしこさんからである。が、グズグズするうちに、自粛期間が終わってしまった。次への引き継ぎは諦めて、渡されたバトンそのものを、しげしげと眺めてみようと思い立ったわけである。


本は『日本教の社会学』で、初版は1981年。著述ではなく、対談だ。一人は、一世を風靡した『日本人とユダヤ人』の著者イザヤ・ベンダサンこと、山本七平氏、もう一人は、小室直樹氏である。小室氏については、数学者だったかなという認識程度(間違いではなかったが)であった。あらためて、よしこさんのアンテナの広さに頭が下がる。


中身は、太平洋戦争時の日本軍の意思決定プロセスをもとに、日本人と日本社会の本質を鋭く考察したものである。キーワードは「日本教」「空気」「実体語と空体語」など。碩学な二人による、口語と文語のちょうど真ん中をねらった70年代的文体で、濃密につづられている。よしこさん曰く「言文一致を試みた頃の滑らかさ」だ。


読後は、2つの意味でしんどくなった。


ひとつは、当時の‘空気’を知っている者ならではの、トラウマである。とにかく日本人特異論や日本社会独自論が、世上で横行していた時代だ。多くは「自虐史観」である。それらは教材として、学校教育にも頻繁に登場した。子ども心にウンザリした私は「日本人という普遍の属性を、どうせぇちゅうんじゃ」と内心毒づいていた。一流の評論であっても、未だに食傷感はつきまとう。


もうひとつは、21世紀も20年過ぎても、日本教はゆるぎなくシステムとして作動し続けている事実に、あらためて戦慄したからだ。醸し出される「空気」は、未だに忖度や自粛警察などの超常現象を生んでいる。一方で、コロナ第一波の死亡者の少なさは「場に従う」という日本教のプリンシパルが、おそらくプラスに働いたことによる。古代より幾たびか日本社会を襲った疫病の流行が、この行動様式をつくったのかもしれないとも思った。


場に従うことだけが、不変原則である日本教システム。全くのところ、これから「どうせぇちゅうんじゃ」。バブル期に新人類などと取りざたされた自分だが、自立、自律に向けての社会の変質に、全く貢献できていない。単なる変人のまま、なす術なく立ち尽くしているような気がする。

「のり弁」文書を作らないために

仕事柄、「のり弁」をよく目にする。

といっても食べるやつではない。モリカケ問題などでひんぱんにマスコミに取り上げられている、あちこちを黒く塗りつぶした公文書のことである。

 

公文書は、国民に対し政府の説明責任を全うする観点から、行政機関及び独立行政法人等が保有する文書についての開示請求権等を定めている(総務省HPから抜粋)。ただし、次の⑴~⑹は不開示情報に該当する。

*以下、めんどくさがりは箇条書き後ろの( )内だけ読まれたし

 

(1) 特定の個人を識別できる情報(個人情報)

(2) 法人の正当な利益を害する情報(法人情報)

(3) 国の安全、諸外国との信頼関係等を害する情報(国家安全情報)

(4) 公共の安全、秩序維持に支障を及ぼす情報(公共安全情報)

(5) 審議・検討等に関する情報で、意思決定の中立性等を不当に害する、不当に国民の間に混乱を 生じさせるおそれがある情報(審議検討等情報)

(6) 行政機関又は独立行政法人等の事務・事業の適正な遂行に支障を及ぼす情報(事務事業情報)

 

(5)、(6)などはいかようにでも解釈できるので、相手方は重要な部分をここぞとばかりに塗りつぶしてくる。そこを文字数と文脈から「眼光紙背ニ徹ス」眼力で推察していく。ところが、最近はとみに、のりの量が増え「だ」「である」とか「と」「や」とか、文末と接続語しか読み取れない傾向にある。気になるところだ。

 

と、前置きが長くなったが、このたびの熊本県・教育長ブログ「文科省通知の読み方」は、そんな物騒なケースではない。文章のなかで絶対に必要な部分以外を塗りつぶしたらこうなりました、という内容である。

 

実は、タハラの文章講座でも「必要な部分以外を全部消せ」というワークがある。その分量が一番多かった文書を「The King of Wakarinikui(わかりにくい)」として称えるのだが、この栄誉に属するのは、圧倒的に中央官庁が発行した公文書に多い。

 

どこがムダなのか。細かい点は・教育長のブログに譲るとして、ポイントは「命令形以外は全部ムダ」だ。公文書をはじめ、ビジネス文書の根幹はすべて頼みごと、つまり命令形にある。ただし、それをストレートに表現するとカドが立つ。そこで「お願い申し上げます」などとオブラートにくるみながら発信者の意思を表示する。

 

そう、文書とは話し手による意思表示なのだ。ほかはすべて枝葉である、と心得ることがビジネス文書上達の第一歩である。みなさん、覚えていてね。

 

最近、気づいたこと

最近、気づいたことがある。

 

ZOOMの脆弱性(ぜいじゃくせい)を、どれだけたくさんの人が「きじゃくせい」と読んでしまうかを。

コロナウイルスによる禍(わざわい)を、「コロナ渦(うず)」と書いてしまう人々がいかに多いかを。

賞賛・批判のツイートにどれほど数多くの「安部首相」「阿部首相」「阿倍首相」が存在しているかを。

 

右脳人間、左脳人間

研修の仕事の多くが、コロナ氏のせいで延期になっている。

ただし書き物関係の仕事はなくならない。話し言葉系、書き言葉系の両方の仕事をしているリスクヘッジがここで効いている。ありがたいことだ。

 

さて、現在閑古鳥中の講師業は、ビジネス文章作成関係が中心である。ただ最近ちょっとカラーの違った依頼が来るようになった。情報リテラシー、統計学の入り口を扱う分野である(一応資格を持っているので)。

 

というと、「うわぁ、右脳も左脳もすごいですね」とホメてもらえることがある。文理両道という意味なのだろう。でも統計は、論理(一応、専門)を拡張したものだ。それに文字と数字は、概念を抽象化・記号化したものだから、 根っこは一緒なのだと勝手に思っている。

 

そして、そもそも右脳=理数系、左脳=文系というステレオタイプは、大いなる誤解。疑似科学の典型らしい。

 

以前から、右腕と左腕とは違い、脳の右左はしっかりとつながっているんだからバラバラには動かんよな、と思っていたら、Despite what you've been told, you aren't 'left-brained' or 'right-brainedに動かぬ証左があった。2013年の古い記事だが、掲載はかの英ガーディアン紙だ。そこが右脳左脳を「都市伝説」と否定しているのだから、サ〇スポや週刊△性よりは信用度は高いだろう。

 

注意すべきはむしろ、個人個人の認知の偏りや自己の防衛本能(プライド)である。それらが、自分のワクを自分にはめ込んだり、やらない理由を探したりする際に、「右脳左脳」を言い訳にするのだ。記事はこうまとめている。

 

"Let's not underestimate our potential by allowing a simplistic myth to obscure the complexity of how our brains really work.’’(単純化された神話が脳の働き方の複雑さを曖昧にすることで、私たちの可能性を過小評価しないようにしましょう。)

 

ちなみに上訳は、最近とみに評価の高いDeepL翻訳であるが…現段階では生硬く、まだまだ人間様の活躍余地はありそうだ。みなさん、自分の脳みそにもっと自信を持とうよ。 

 

*参考記事 

Despite what you've been told, you aren't 'left-brained' or 'right-brained' (右脳、左脳神話のウソ)

Amy Novotney 'The Guardian' 16 Nov 2013

 

コロナ騒ぎ

ただただ、バカバカしいかぎりである。といってもウイルスの脅威そのものではない。

私が、バカバカしいと思っていることについては以下のとおり。

 

〇日本政府が、イベントや休校要請に際し、判断の根拠や実施基準を示さなかったこと

さらに

・実施した場合のメリットとデメリットを検討した様子がない

・中小・零細飲食業者に致命的な打撃を与えていながら、政府の首長たる人間が毎夜(おそらく高級料亭で公費による)飲み食いを重ねている。人気が失せた街の居酒屋でやれ、と言いたい

 

〇ヤフオクやメルカリなど大手フリマ業者が、マスク転売などについて価格や数量などの自主規制をおこなわなかったこと

ちなみに

・イオンなど一部流通業者は、店頭に不足物資(ティッシュ・トイレットペーパー)で万里の長城を築き、ドヤ顔で転売ヤーに見せつけた。こうしたあっぱれな業者の爪の垢を煎じて飲んでいただきたい

 

〇いまさらテレワークに走る企業

・現役世代の、子育てや家業との両立への怨嗟の声には応えない。自らの感染リスクには敏感なオッサン文化

  

ひとつ提案がある。

 

現在休校中の児童・生徒をガラガラの新幹線に乗せ、国会の傍聴にご招待してはどうか?

一斉休校を千載一遇のチャンスとして、国としての意思決定がどうなされているか、未来を担う若者らにしかと確かめてもらうのである。

 

感染症学会の以下のデータを見る限り、20歳未満の感染は軽症で済み、致死リスクは極めて低い。対して50代のリスクはその数倍、60代以上の閣僚クラスでは18倍以上だ。

 

平均年齢54.7歳、50歳代が6割を超えるオジサン議員たち。傍聴席から、未成年のつぶらな瞳と感染リスクのアツを受ければ、連日連夜の濃厚折衝もさぞや捗(はかど)るだろう。

 * 参考HP 日本感染症学会 水際対策から感染蔓延期に移行するときの注意点

社名の由来

「御社の○○にひかれました」と面接官の前でアピるそこの就活生さん、ちょっと待った。ちらっと見たHPや先輩訪問時の聞きかじりといった周知のリソースでは、ライバルと差をつけるのは難しいぞよ。ここはひとつ、会社のルーツに深く関わる「社名」に注目してみよう。

 

では、クイズを3つ。

 

1 創業者の名は「豊田(トヨダ)」なのに、なぜ社名は「トヨタ」なのか?

2 創業時、ダスキンの創始者、鈴木清一氏がイチオシとして考えた社名は?

3 「セメダイン」に込められた真の意図とは何か?

 

答えは以下の通り。

 

1 創業前年の昭和11年、公募した社名ロゴ「TOYOTA」のデザイン案を気に入ったから

すでに登録していた第一号国産車「トヨダ号」の商標を取り消し「トヨタ号」に変え、社名もトヨタにした。あの質実剛健なトヨタがデザイン優先で社名を決めたという、らしからぬ?逸話だ。

 

2 (株)ぞうきん

あまりのストレートさに「これじゃ嫁さんもらえない」という社内からの懸念の声が上がったらしい。これを受け、(株)サニークリーンとなり、のち「ダスト(ほこり)」+「ぞうきん」の「ダスキン」に落ち着いた。業務内容と語呂の良さを兼ねた見事なネーミングである。

 

3  打倒「メンダイン」

明治中期、英国製「メンダイン」をはじめとする輸入接着剤に、日本産のノリは駆逐された。創業者・今村善次郎は「メンダイン」を「攻め(せめ)る」をスローガンに苦節4年、汗と涙で初の国産接着剤を開発した。これがのち社名となる「攻め+(メン)ダイン」、だからなんだか強そうに聞こえるのだ。

 

ほかにも面白い話はいっぱいある。ロート製薬の最有力候補社名は「眼活」だった(今ならウケそうだ)、文化元年創業の「ミツカン」は、明治期に屋号「丸勘」の登録をライバル社に出し抜かれて急遽考えた、二番煎じの社名だったなどなど。社名にまつわるエピソードは尽きない。

 

どうだろう、とりあえず志望企業名の由来を調べるというのは。このネタだけで、人事担当者と10分ぐらい会話がもたないだろうか。

 

 

※参考:『誰かに教えたくなる「社名」の由来(2007)本間之英

TOYOTA、ダスキン、ロート製薬、各社HP「会社沿革」

 

「が」「は」の違い

日本語の奥深さを上から目線でお伝えする、「知ったかぶりの言語学講座」。

 

第1回目は、一字違いでエライ違い、がテーマである。題材は、ちょっと旬を過ぎた例の国外脱出騒ぎ。といっても「ビーン」か「〇ーン」かという固有名詞ではない。あくまでも語と語をつなぐ「助詞」に着目する。

 

さて、クイズを出してみたい。

 

中身不明の楽器ケースに貼るステッカー用に、キャッチコピーを考えるとしよう。×に入る言葉としては、「が」「は」、どちらが自然だろうか。

 

(1)ビーン「×」入っています。

 

この場合「が」が適当だ。「は」、だと「ビーン以外に何かメインが入っていることを期待したでしょ、あなた」というニュアンスが出てしまう。

 

翻って、これはどうだろう。

 

(2)ビーン「×」入っていません。

 

ちょっと悩んだ方もいるかもしれないが、「は」ではないだろうか。

 

この場合の「が」「は」の決定的な差は何か。

 

実は、聞き手に新情報を提供する場合は、「が」を使うことが原則である。昔ばなしが「昔々、おじいさんとおばあさんが」と必ず「が」ではじまるのと同じリクツだ。

 

ではなぜ(2)は、「は」の方がなじむのか。「ビーンは入っていない」は、新情報ではないのか? 確かに、そうかもしれない。

 

楽器ケースには必ず何か(普通は楽器)入っていることが前提になっているので「(ちゃんと楽器が入っています。)しかしビーンは入っていません」の前半のカッコの文が略されているというわけだ。つまり、聞き手が前提という情報を持つから、新情報ではない、というリクツか(自信がないが)。

 

もうひとつは、新情報云々(うんぬん)とは別に、文が動詞の否定形で終わっているからである。形容詞(楽しい、悲しいなど)や名詞(男性だ、レバノン人だ)、また動詞の否定形など「状態」を表す場合は、通常「は」を使う。

 

これを一瞬にして使い分ける日本語ネイティブってすごい。英米語、仏語、アラビア語、を自在に操る〇ーン氏が、在日約20年間、公式の場ではちっとも日本語を使わなかったのも、無理はない。

 

としのはじめのごあいさつ

っというまの2020年の一週間だった。

 

っして始業3日間もサボっていたわけではない。が、頭に全くエンジンがかからないのだ。休眠中のカエルがおこされるとこんな気分だろう。

 

だ休日モードで仕事のスタートが切れていないだけなのか。時間は連続的なもので、生物としては体内では正確なリズムを刻み続けているはずなのに、人為的な区切りに振り回されるのにはほとほと困ったものだ。

 

かたなく、年末にし残した作業に集中してみる。

 

や指を忙しく働かせる、脳が活性化されるかもしれないという期待だ。ということで?お休みモードの中から、あらためて

 

おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

クリスマス・シュトーレンのおはなし

クリスマスといえば、ドイツである。

クリスマスツリーを飾る習慣は、大英帝国・ヴィクトリア女王の夫君が、故国であるドイツの風習を王室に持ちこんだのがはじまり。また15世紀から始まったクリスマス・マーケットも、ドイツのドレスデンが発祥の地と言われ、今も多くの人々でにぎわう。

 

そんなイメージから「クリスマスをドイツで」と渡欧し、わりと痛い目に合った日本人は多いのではないだろうか。店やレストランからは閉めだされ、美術館は短縮営業。戸外のマーケットの寒さに耐えきれず近所の教会に飛び込むと、「一見さんお断り」でシビアな扱いを受けたりする。クリスマスは昔の日本の正月と同じで、基本的には家族で過ごす時期だからだ。

 

こうしたドイツのクリスマスに欠かせないのがシュトーレンだ。最近、よく見かけるものの、昭和の日本人に愛されたいちご丸ケーキに比べ、いまひとつ子どもウケしない味であろう。

 

それもそのはず、これは長期保存のための伝統食だ。15世紀にドイツ王がローマ教皇に、教会建立と引き換えにバターの使用を認めさせたエピソードを持つ代物である。材料や製法などの条件をクリアしないと、シュトーレンとは認められないのだ。

 

例えば「ドレスドナー(ドレスデンの)・シュトーレン」認定では、小麦100に対し70以上のドライフルーツ、油脂は40でその半分以上はバターを使え。手ごねで製造し、型を使うことはまかりならぬという厳しいお達しがある。

 

こうしてできたブツ1個の熱量は、1600カロリーを超える。成人女性の1日の必要カロリーに近い。だから12月の初めから少しずつ食べ始め、クリスマスにようやく食べ終わるのがドイツ流だそうだ。

 

日本の皆さん、カロリー超過が気になるこの時期、まかりまちがっても、一日で食べきらないように。

 

*参考URL 辻調グループ総合サイト 「食」のコラム&レシピ

 

 

新・論理力養成ギプス講座7-2 政界スキャンダルが起きると芸能人がタイホされるのか! の巻 2/2

『政府が問題を起こし、マスコミがネタにし始めると芸能人が逮捕される』の真偽を検証する明子。一徹の指導を受けながら、第2次安倍内閣(2012年11月20日~2019年11月19日)の「政界スキャンダル」「芸能人タイホ」の相関・因果関係を洗い出しはじめたが…

 

一徹:どうじゃ、明子。「政界スキャンダル」と「芸能人タイホ」の発生時期と内容は?

明子:ええ。あの…

一徹:よいか。以前に教えたとおり、2つの事柄の相関関係に因果(原因ー結果)関係があるかないかを判断するときには、次に注意するのじゃ

 

1 関連の時間性:原因は結果の前にあるか

2 関連の密接性:原因が結果に密接に関連するか

3 関連の特異性:原因が結果にどの程度かかわっているか

そして4の関連の普遍性じゃが…

 

明子:お父さん、それがね…

一徹:なんじゃ?

明子:ちょっとこの表を見て!

 

 

 一徹:原因→結果の順になっているのは今月の花見事件ぐらいか。あとは発生ー発覚ー報道までのタイムラグを考えても、時期が数か月以上ずれておる

 明子:これだと、さっきお父さんが言いかけた4「対象や時期などが異なっていても、類似した結果が得られるか」にあてはまらない。つまり因果関係が見られないってことね

 

 一徹:ただ、逮捕者リストにもとづいて最大効果を上げるよう綿密な準備をしておれば、政界スキャンダル発覚に先んじてタイホする手法もとれる。この理屈なら、結果と原因が前後しても因果関係が成立するぞ

 

明子:それはどうかしら。そんなリストと危機マニュアルを作成して、ちゃんと保管している可能性は低いような気がするわ。公文書は改ざん、招待客の明細書はすぐ廃棄、前夜祭の領収書すら作らない人たちですもの…

 

ーこの巻おわり

 

参考URL:NHK政治マガジン『安倍政権は、なぜ続くのか』

 

新・論理力養成ギプス講座7‐1 政界スキャンダルが起きると芸能人がタイホされるのか! の巻 1/2

明子:おほほ、Twitterで『政府が問題を起こし、マスコミがネタにし始めると芸能人が逮捕される。次期逮捕予定者リストがあって、誰かがゴーサイン出してるでしょ』ですって

一徹:明子よ、あながち荒唐無稽ともいえんぞ。ホリエモンという男なんぞも『頭に頭にウジ湧いてんな笑笑』と嗤(わら)っておったが

明子:まあ、そうなの?

 

一徹:1969年、FIFAワールドカップ南米大会予選、ホンジュラス⁻エルサルバドル戦でのことじゃ。サポーター達の衝突を政府があおり、両国は戦闘状態に入った。双方、インフレや政府高官の不正など、政府への不満がくすぶっておったからの

 明子:国内の不満をそらせるためにサッカーを戦争の口実に使ったの!?

一徹:と、言われておる。また90年代の東欧ではテレビ局と結託して、対抗する政党の政見放送中に、人気番組をウラ番組として流しておった。マスコミを使った選挙妨害じゃな

明子:そうやって、なりふりかまわず政権を保とうとすることが、現実にあったのね

 

明子:今の「政界スキャンダルが起きると芸能人がタイホされる」はどうかしら?これが本当かどうか論理的に確かめるためには、前回の宝くじの話のように確率を使えばいいの?

一徹:確率ではない、「相関関係」じゃ。2つの事柄(変数)がどれぐらい強く関係しているかをみるための、ものさし(尺度)のことよ

明子:そうだったわ。この場合「政界スキャンダルが起こる」たびに「芸能人がタイホされる」ケースが多ければ多いほど、相関関係が強いんだったわね。

 

一徹:さすが、わしの娘よ。相関関係があるからと言って、因果関係がある、すなわち「政界スキャンダルが起こる」が「芸能人がタイホされる」の原因になっているとは限らんのじゃが。逆に言えば、相関関係が無い場合は、因果関係もないと考えてよかろうて

明子:わかったわ、お父さん。まず相関があるかどうか考えてみましょうよ!

 

一徹:まずは、第2次安倍内閣(2012年11月20日~2019年11月19日)の「政界スキャンダル」「芸能人タイホ」を洗い出すがよい!

明子:2つともレベル感が難しいわね。「芸能人」にしても逮捕されてはじめて名前を知ったような人もいるし…

 

一徹:明子が何か選出の基準を持てばよい。キー局でレギュラー番組を持っているとか、ご近所10人が必ず知っているとか。「政界スキャンダル」は支持率に影響しそうな、という主観からじゃな。2015年夏の安保法案、2017年2月~翌年秋ごろのモリカケ問題、そして今の花見問題ははずせんじゃろう

明子:そうね。そう考えると事件(データ)の数は少ないのかしら…難しそうだけど、調べてみるわ

 

一次元オタクの聖地

The Geek Shall Inherit the Earth.(オタクが天下を制す)とのことわざが米国にあるらしい。が、Geek=オタク、すなわち二次元種族を囲む生温かい偏見は、いまだわが国の三次元空間に満ちている。数こそ多いがマジョリティになれないマイノリティ、それが「二次元」であろう。

 

ところが、二次元(平面)よりさらに次元が低い一次元(線)、つまり文字と記号の世界に淫する輩への評価はまるで違う。

 

「読書家」「博学の徒」などと崇められ、学校の課題作文などでは、全生徒の目前で表彰状の贈呈をもって称えられる。普通のオタクよりさらに次元の低いオタクに文科省のお墨付きを与えるのはなぜか。世の七不思議である。

 

オタクに聖地は数々あれど、一次元オタクの聖地はただ1つ、図書館である。高い天井の下の沈んだ空気、しっとりとした紙の匂いは聖地の佇まいにふさわしい。

 

ドイツのウルムから数キロにあるヴィブリンゲン大学内にある、南ドイツで一番美しいという図書館。写真はその天井画である。かつては修道院付属の図書館として、ドイツで最大の蔵書数を誇ったらしい。字を読むことができるのは、近世までは教会関係者をはじめ、ほんの一握りの人たちだった。羊皮紙の書籍を抱え行きかう修道僧たちの姿を想像しつつ、キリスト教世界以外にも知が開かれた、21世紀のありがたさが身に染みた。

 

新・論理力養成ギプス講座 6 「宝くじで期待値計算」の巻

明子:お父さん、今日は珍しいものを買ったの。

一徹:なんじゃな?

明子:うふっ、宝くじよ、秋のビッグチャンスくじ。1枚2百円だけど一等は3千万なの。年末ジャンボくじに比べて当選確率が高いらしいわ。飛雄馬にも新しいグラブを買ってやれるかしら。

一徹:全部で何本売り出すのかな?

明子:確か300万枚だったかしら、1等前後賞がそれぞれ1千万円、1等組違い賞10万円が29本、2等30万円が90本、3等5千円が6,000本、4等1千円が3万本、5等30万本でも買った金額分の2百円がもらえるわ。それと、実りの秋賞が10万円が600本なの。

 

一徹:ふん、わが娘でも女とは話せんわい。そんなくだらんことでムダ金を使うとはな!

明子:まあ、ムダ金ですって?

一徹:当たり前よ。1等3千万円の当選確率は0.00003%、前後賞でも0.00006%じゃ。

明子:確かに小さな数値だけど、そんなに低い確率なの?

一徹:まさに天文学的よ。日本国内で交通事故で死ぬ確率は最近では0.003%前後。つまり、1等当選確率の100倍近くじゃ。

明子:まさか!

 

一徹:そもそも、宝くじ金額の払戻率は、50%以下と法律で決まっておる。80%以下とされておる競馬や競輪よりはずっと低い。
明子:なんてことかしら…。

一徹:明子よ、それぞれの賞の当選確率に賞金を掛けた和、期待値は87円。つまり払い戻し率は43.5%、これを見るだけですぐわかるじゃろう。ものを買うときには計算ぐらいせんか!

明子:お父さん、確率の計算を習うのは中学生以上なの。あたしはお母さん代わりにずっと家事をしてきたから、学校もろくに行っていないのよ。

 

明子、うつむく。一徹、にじむ涙を見られまいと天井をにらむ。

 

南独・クルマ事情2 道路を走るクルマの面々

前回の「南独・クルマ事情1」の続き。
国境の街リンダウから、オーストリア経由でスイスに向かう。スイスとオーストリアの高速道路は有料なので、あらかじめ購入した年間パスをフラントガラスに貼っておく。
ドイツから出たとたん、道路のガタガタと例のあおり運転からやや解放された。国境をもうひとつ越えスイスに入ると、チェコやデンマークなど、遠方からのクルマも増えてきた。 クルマの国籍は多様だが、その7割はドイツ車である。筆頭はフォルクスワーゲン(VW:さすが「大衆の車」)で、続いてBMW、ベンツ、アウディ(これもVWグループ)の順に多い。その他で目立つのはボルボやフィアット、ヒュンダイ。日本車は全体の1割弱となかなかの健闘ぶりである。 日本車のプチ人気は、価格が安いのに加えて、マツダや三菱などを中心にディーゼルエンジンに力を入れているからだろう。そう、「環境意識の高いドイツ」圏で見かけるのは、ほぼガソリン車とディーゼル車である。電気自動車はおろか、ハイブリッドらしきクルマも目にしない。 そりゃそうだろう。2019年現在、テスラの上級車種でも、充電満タンの走行距離はたったの600キロ。バカンスにはクルマの後ろに荷物を引きずって、一日数百キロの移動をこなすドイツ圏住民のニーズに、応えられるようなパワーレベルにはない。 それでもVWやBMWなどは、2030年のディーゼル車完全禁止のシナリオをにらみ、テスラ相手に電気自動車の開発競争にしのぎを削っている。「環境意識の高いドイツ」という枕詞は、「ドイツ車ユーザーのために、われわれは環境意識を持ってクルマを開発しています」というメーカーのスローガンに過ぎないような気がする。

南独・クルマ事情1  あおり運転はドイツでどうぞ

ドイツ・ミュンヘンからあちこちに立ち寄りつつオーストリアを経てスイス、その後シュツットガルトに戻りフランクフルトへ、題して『名車・DSで行く南ドイツ〜スイス12日間』。海外での運転ははじめてではないが、右車線走行はビクビクものであった。よくぞ無事に走破したものだと我ながら感心する。

以下は全走行距離1,500キロ、2019年9月末~10月初旬に主に南ドイツを運転した中での雑感である。

●制限速度は最低速度
かのアウトバーン(A道路)の制限速度が130キロであるのは有名な話だが、一般道も負けてはいない。路肩がタイヤのすぐ脇に来るような狭い田舎道でも、制限速度100キロはザラである。ほとんどのクルマは、大雨の中やボコボコ道、どのような悪条件でも、制限速度の上限で元気よく走っている。カーブでも速度を落とさず、勢いよく曲がる。ちなみに全ての道路はタダなので、それ相応の状態である。しかもA道路>M道路>L道路の順で道は悪くなる。 ●車間距離は車2つ分
時速150キロであれ30キロであれ、きっちりクルマ2つ分空けて前車に続くことが、南ドイツの流儀と見た。バックミラーでは運転手の顔がわかるどころか、表情まで読み取れる。無表情な大男が運転するSクラスのベンツが後ろにはりつく圧迫感、日本なら「あおり運転」認定は間違いない。となりの車線に回避できる時はよい。ほぼ1車線のL道路では、あおりの恐怖が延々と続く。そして対向車線からは、マン社のはみ出しトラックが、うなりを上げてこちらに迫ってくる。 ●停まる時は停まる
市街地に入る前にはきっちりと速度を落とす。道路を渡ろうとしている人を認めると、横断歩道の手前でお行儀よく停止する。また田舎道を占拠する羊に対しても、道路をはみ出して回避しようとせず、群れが最後まで渡りきるまで辛抱強く待ち続ける。 では道を爆走するクルマのラインナップは?南独は、ベンツやBMW、ポルシェなど数々の名車を輩出するクルマづくりのメッカでもあるのだ。この話は次回に。

反エロ、反日?

ヨーロッパ行きの某中国系航空機内で映画『ボヘミアン・ラブソティ』を見た。終わって気づいたことが2つある。

まずはシンプルな表音文字がないと大変だよのう、だ。字幕に出ていた主人公フレディの名が「ドルに手ヘン、菜っぱみたいな字、由にしんにょう」の漢字3文字になってしまう。こうした類の漢字の選択は誰がするかなという、素朴な疑問も頭に浮かんだ。

次に、いくつかのシーンがカットされており、それらに2つの共通項があることだ。

ひとつはフレディが男性マネージャーにキスされたり、生涯のパートナーとなるジムの後ろ姿に一目惚れ、おもわずおいどを撫でてしまったりする場面。もうひとつは、クイーンメンバーが「東京」の名に胸を踊らせたり、羽田空港で熱狂的な歓迎を受けたりする場面である。つまり、同性愛エロと日本に関する描写である。

エロに関して言えば、社会主義大国を標榜していた80年代、その種の検閲が非常に厳しかった記憶がある。

私が通っていた大学の中国語学科では、来日する純朴な男子留学生をエロビデオとエロ本で「おもてなし」する習慣があり、彼らを大いに悦ばせたらしい。ところが、ある留学生がこれらを自ら購入、後生大事にトランクの底に忍ばせ帰国したところ、税関で発覚、大問題となったと聞く。現在もエロには厳しいのか、それとも男色のみが禁忌の対象なのか。 そして、日本の描写カットの理由について。中華人民共和国という国自体が、旧日本軍の侵攻と敗退の上に成立したことが影響しているのだろうか。

そんなことをおもいつつ、隣の中国人男性が見入っている画面に目をやると、封切られたばかりの日本映画『スマホを落としただけで』、手にしたスマホのWeChatのアイコンはあの『リーガル・ハイ』だった。人の興味は、金盾(グレート・ファイアウォール)を楽々と超えるようだ。

 

一期一会

現在、私はフヌケ状態にある。足掛け一年半手がけてきた社史が、ようやく発刊の運びになったのだ。

 

社史づくりは大変な仕事である。とりわけクライアントさんにとっては、苦楽しい作業ではないだろうか。社業の合間をぬって、ルーツや出自、成長の理由、自社ならではの強みや弱みなどを、古い資料やインタビューから歴史を絞り出していく。思いがけない過去に出会ったり、どうしてもたどれない出来事があったりするのはしょっちゅうである。

 

それを通じて得るのはおそらく「結局、われわれは何者なのか」という、自社の価値であろう。単に現業の事業領域(ドメイン)やいわゆるコア・コンピタンスだけではない。バリューなどといったファストフードもどきの薄っぺらい言葉でも、表すことはできない。もっともっと深遠な、普遍的で社会的な存在意義であるような気がする。

 

加えて、このたびの社史は思いがけない大役を担うことになった。完成を楽しみにしていた社長の急逝という出来事を経て、創業家の大切なメモリアル・アルバムとなったのである。

 

社史の名の通り、まさに「一期一会」のお手伝いとなった。現社長をはじめ、このような社史制作へのご縁を結んでいただいたすべての方々に感謝を捧げたい。

 

弱き者よ、汝の名は女なり

 

昔々、バブル期の少し前のころ。、日本にのある保険会社に、タハラというKYな女子がおったそうな。適当に就職して適当に働いておったが、ある時、人事部から声をかけられた。

 

「お上からのお達しにより、ウチの社も『女性総合職』を創ることとなった。キミ、なってみるか?」。聞くと、仕事内容は変わらず、当時の一般職の給料とボーナスからは大幅アップ。転勤はタテマエとしてあるが、まま、それは配慮しないこともないので、ということだった。タハラは二つ返事で引き受けた。一応、試験と面接はあったが、ゲタをはかせてもらったのか、めでたくパス。総合職に転換した。

 

「転換制度導入後、初の女性総合職」―会社から、やれ女子学生向け採用セミナーで話をしてくれ、やれ宣伝TVに顔出ししろなどという声がかかる。ところが、タハラの仕事はいわゆる決算公告であったので、繁忙期が当時の採用のピークともろに重なった。でもほかに対応できる立場の人材がほぼいない。キレイ事の会社説明に予定調和の応答、そんなことに1日数時間が費やされる。短気なタハラのなかで、マグマがふつふつと煮え立ってきた。

 

そんなある日、タハラはカルデラ爆発級の噴火を起こした。採用セミナーで、女性総合職としての自負と気概とは、などといういかにも人事受けをねらった質問を学生から受けたときのことだ。

 

「やってる仕事内容や責任感は以前と全く変わりません。総合職と言っても、男性という白人社会の、まあ、『名誉白人』みたいなもんです。一般職の評価が低すぎるんですよ」。

タハラは採用関係イベントには二度と呼ばれなくなったそうな。

 

その後、バブルが崩壊し日本経済は下降の一途をたどるなか、タハラは結婚することになった。もちろん仕事は続けるが、と年の近い上司に告げたとき、こう言われたらしい。

 

「なあ、本音で聞かせてほしいんやけど。俺やったら、相手が養ってくれるんやったらすぐに会社やめるんやけどな」。1回目は笑ってやり過ごしたが、そんなやりとりが数回続いた結果、また小噴火が起こった。

 

「でも、一生安泰で連れ添ってくれるとは限りませんよ。相手から放り出されるリスクがありますからね」。

その上司はバツイチだった。KYな者、汝の名はタハラなり。1週間ぐらい、上司は口を利いてくれなかったらしい。

 

タハラはその後、紆余曲折を経て会社を辞めた。あいかわらず不器用に生きているが、細々と仕事は続け、連れ合いからも放り出されず、幸せに暮らしているとさ。めでたしめでたし 

 

ホンマにあった怖い話

のんびり屋のお兄ちゃん、元気いっぱいのお姉ちゃんにちょっぴりはにかみ屋の妹さん。仲よしA氏一家の3人のお子さんが所属する、乗馬クラブでの出来事である。

 

A氏の日課は、子どもたちのレッスン前、騎乗予定の馬にニンジンをやることだ。その日は、お兄ちゃんと妹さんはすでに身支度を終え馬上にいた。A氏は、まだ姿を見せない中の娘のために「振り落とさないでくれよ」とワイロのニンジンを馬にやったとき、「お父さん!」、遠くから娘の声が聞こえた。顔を上げた途端、右手小指に激痛が走った。思わずしゃがみこんだ地面の先に、何かが転がったのが見えたという。それは、A氏の小指の先だった。

 

「お医者さんを!」周囲が血相を変えて走り寄ってくる。お兄ちゃんが、指を氷漬けにして病院に付き添ったらしい。失血はさほどではなかったが、担当医には「小指はねえ…。動物の歯は雑菌が多いので、接合手術はお勧めしません」と告げられた。医師であるA氏は、事態を理解し、接合を断念した。 

 

A氏は、分厚く包帯した小指を眺めながら「なんか中途半端な傷跡なんで、ここから指がニョキニョキ生えてきそうな気もするんですけどねえ」と語ってくれた。医師としてのプロの見立てである。そのうち再生するに違いない。

 

 教訓:エサやりは 必ずパーの 手でしてね(神戸市立王子動物園の注意書きより)

 

 

お前はもう死んでいる

 自宅のエレベータが故障した(ささやかなホームエレベータである)。

 

高齢ながら閉じ込められた家人は自力で脱出。「突然停まったぞ!」とメンテナンス契約をしているメーカー某社のコールセンターに怒りの一報を入れた。噛み合わない会話でたらいまわしにされた(らしい)挙句、やっと一週間後に点検員がやってきた。機械室で何やらガタガタすると、ようやく動き出した。

 

どこが悪かった、という質問に「あ、機械が古いので」。ろくろく説明もせずに新品エレベータのカタログを置いて帰ってしまった。その2週間後、案の定またエレベータが停止。今度は違う点検員が来て言うことには、機械部品の交換が必要だという。部品の有無を調べて、1週間以内に折り返し連絡するとのことだった。

 

待つこと10日、家人が、しびれを切らして点検員が置いていった名刺に電話すると「部品がありましたので、先日その旨を書いた郵便を送付しましたが」と言う。ソバ屋の出前である。いい加減にしろ、こちらのアドレスを教えるからメールで送れといったとき、先方はこう返答したらしい。

 

「当社では、メールでのやりとりはしておりません。FAXでのやりとりならできますが」

 

「今どきFAXだけとな!」昭和ひとケタの家人が電話口で驚愕した。下請け会社とはいえ、日本を代表する企業の看板を掲げる窓口が・・・。相手は、はい、当社はこれで大丈夫です、と答えたという。

 

さすが、経団連会長が、執務室にPCを持ち込んだだけで話題になる国のことはある。現会長よりひと回り以上年長の家人は「モノ作りでもサービスでも、もうこの国は終った」と嘆いている。

 

オジサン女子のひとりごと

オジサン女子とは何か。それは、次のような行動特性により分別されるそうだ。

 

1いきつけの居酒屋がある

2お酒のつまみが渋い

3カクテルなど甘いものは飲まない

4メールは常に簡潔で用がないとしない

5おしぼりで体を拭いてしまう

6若い女の子をおっさん目線で可愛がる

7男性ウケをまったく意識していない

8言いたいことを言う 

イケジョ通信〉より改変

 

ううむ、1と5以外は当てはまる私はオッサン女子か、とおもいきや「このような行動をとる若い女性」が定義らしい。ということは、若くないオジサン女子=オバサン。でもオジサン女子の漂わせる匂いは、オバサン臭さとは微妙に違うような気がする。

 

そこでオバサンの定義を、30代の男性100人のヒアリングしたというサイトにすがってみた。

 

1立つときに「よっこいしょ」

2「私、オバちゃんだから(笑)」という“前言い訳”

3「あれ、どうだった? あれよ、あれ!」(「これ・それ・あれ・どれ」多用) 

4「それいくら? と値段を聞きたがる」

5「私、何歳に見える?」

6用事があると言うと「あら○○君、デート(笑)?」

7「昔はクリスマスと言えばシティホテルで……」とバブル語り

8「最近の女子は、甘えてるからなあ」  

 〈女子SPA!〉より改変

 

3以外は当てはまらなかった。

 

オジサン女子の共通項が「花よりだんご」「質実剛健」であるのに対し、オバサンは1以外は'self-centered’(ジコチューとはまた違う)。自分が世界の中心であり、価値基準であることに微塵も疑いをはさまない堂々とした態度である。だから「そんなん知らんし」との若者のつぶやきを、誘いがちなのだろう。

 

ヒトはすべて、’self-centered’として生まれる。

 

その後ヒトは、子ども時代に、自分が世界の中心でないことにふと気づく。自分がそこまで他人に関心がないように、他人は自分のことをそんなには気にしていない。この気づきから他人の視線や思惑などの、いろんな縛りを捨てて脱皮していく。その途上にあるのが「オジサン女子」、片やそのまま自意識を肥大させてしまった未熟な存在が「オバサン」なのかもしれない。 要は、ヒトとしての成熟度の違いである。

 

ではオッサンとは何者なのか(オジサンではなく)。これは「劣化するオッサン社会の処方箋」に解説を譲りたい。

 

女の敵は女

よく耳にするセリフであるが、私にはあまり実感がない。

 

仕事でも私生活でも、やりたい方向に向かう私の足を引っ張ったのは、ことごとく男どもである。もちろん、それと同じぐらい手を差し伸べてもらったり、後押ししてもらったりしたことがある。だから’敵度’は、全体としてプラスマイナス相殺でなんとかプラスであろうか。

 

これに対し、女性からは総じて恩恵を受けてきたと断言できる。チャンスをくれたり、窮地でだまってサポートしてくれたりしたことは数えきれないぐらいだ。

 

協同作業をするときも、忙しいときは女性の方がやりやすい。女性だと任せっぱなしでもなんとかなるが、男性だと見当違いの方向にいきそうになって、あわてて軌道修正する羽目になることがちょくちょくある(※個人の意見です)。

 

でもこの足手まといの行為も、時によい副産物をもらたらすので、必ずしも悪いことばかりではない。結論として、私の中では女の敵は女ではなく、もちろん男でもない。

 

では、真の敵はだれなのか。

 

それは「女と女の諍(いさか)い」とレッテルを貼り、冷ややかに眺める社会の目だとおもっている。ワンオペ育児やママ友とのストレスも、女性管理職へのやっかみも、女同士がうまくやれないからではない。孫子の言う、状況の産物である。

 

ついでに言えば、「子供最低3人くらい産むように」は女性の問題ではない。マリア様のような出産形態は、最新医療技術をもってしてもムリなのだから。

 

 

サムスンとテスラ

サムスンとテスラ、パナソニックの三角関係の行方やいかに。

 

4月、テスラは、パナと共同で経営する世界最大のEV向けの車載用電池工場「ギガファクトリー1」(米ネバダ州)に対する数千億円規模の追加投資を凍結宣言。そのあげく?に、パナの電池生産が「モデル3」の生産の足を引っぱっているとツイートしたものだから株価は急落する。

 

一方でテスラは、昨年末、パナ蓄電池競争のライバル・サムスンSDIと契約、また今年に入ってサムスン電子と自社開発の半導体設計を発表する。こうした元カノ・サムスンとの親密ぶりが話題になっているから、パナは内心穏やかではあるまい。「テスラとパナソニックは単なるサプライヤーではなく、パートナーという認識で一致している。一蓮托生の関係だ」。と奔放な夫に振り回される糟糠の妻のようなセリフを吐いた、津賀社長の心中は察するに余りある。

 

移り気で赤字垂れ流しのテスラ(次の四半期は大幅黒字の見込みらしいが、このセリフは聞き飽きたぞ)。CEOのおっさんの言動を観察していても、ホンマに末永く愛される乗り物を大量生産する気があるのか、市場操作で稼ぎたいだけではないか、と首をひねりたくなる。

 

信用ならんアメリカ系夫に危機感をつのらせたか、トヨタとの交際をはじめるパナ妻だが、もうちょっと早くなんとかならなかったのかなぁ。両社とも。

メタ認知

 最近「シワ、シミを制する!」「オトナの匂い対策、はじめませんか?」などのリスティング広告にがやたら現出するようになった。パソコンにこんな忠告を受ける年まで生きた、という感慨の一方、中途半端な年齢に困ることもある。着るもの、のことだ。

 

ここ数十年、体型がさほど変わらないのは、安上りでたいへんに結構である。しかし、若いころ好んで着ていたタイプの色や形が、似合わないと感じることが増えた。そこで参考のため、通勤電車で同年齢と思しき女性のファッションを観察することにした。

 

観察によると、ファッションに敏感な層は、微妙に2タイプに分かれる。「若々しい」と「若づくり」である。努力を尽くした結果、前者は見かけ年齢<実年齢に成功、一方、後者はイタさを感じさせたうえに、見かけ年齢>実年齢に見えるのだ。なぜか。

 

これはおそらく、ご本人たちの「メタ認知」の違いだ、と推察する。

 

メタ認知とは、「自分を客観視できる能力」である。ハイパフォーマーのコンピタンスとして知られているが、普通の人でもなければ不便な能力だ。たとえば、道路上で自分の立ち位置がメタ認知できなかったら、通行を妨げ、必要以上に人に突き当たられる。

 

つまり、先述の「若々しい」タイプは、見られる自分を客観的に見ている。若さに価値を置く世界では勝負できない。そこを心得たうえで、自分の魅力を最大限に活かす装いは何か熟知し、その知を活用している。まさにメタ認知力の勝利だ。

 

そんなことを考えながら輪行バックを肩から下げて駅のホームを歩いていると、後ろから駅員に呼び止められた。

「そこのボク、輪行バックのチャックは、最後までちゃんとしめてから電車に乗ってね」

野球帽と輪行バック、ジーンズはメタ認知的には「小中学生」だったか。究極のイタい若づくりであった。

 

 

某人気占い師の文章力

最近、やたら表示されるターゲット広告は「占い」である。年末に『マクベス』について調べ物をしたことが祟ったらしい。(「今年こそ恋愛、結婚を成功させる!」などと今も表示されているので、既婚者であることは見抜かれていないようである)

 

私は、ふだん占いに関心を向けることはほとんどない。オカルトブームのさなかに育ったせいか、星占いからタロット占い、易経までひととおり調べ、子ども時代で早くも興味が尽きてしまったのだ。

 

が、そこは広告の威力。ひんぱんに表示される、女性向けWeb雑誌の人気占いコーナーが妙に気になり、サイトをちょこっとのぞいてみた。この占い師が、ウケる理由がよくわかった。2重の意味で文章がうまいのだ。

 

1つめのうまさは、あいまいさである。かつ「こんなことがあなたに起こるかも」という結果提示型を避けている。

 

その代わり「あなたの現状は、こうじゃないですか?」と、問いかけからからスタートする。そののち、読み手(に起こりがち)の心情に沿いながら、「そんな状態だと、このようになりますよね」と、今後をシュミレーションしながら、対処法をやんわりと提案していく。つまり、自分の書いたシナリオに、読み手をプロセス巧みに誘導しているのだ。

 

もうひとつは、励ましとポジティブな文言に満ち満ちていることだ。「~しなければ~しないだろう」といった、ベテラン占い師(例えば細**子氏)によくみられるような否定語が、極端に少ない。

 

もともと、占い(予言)の本質は、脅すことにある。キリスト教や仏教の終末思想も、その一種で、「悪いことすると地獄に落ちるぞ」だ。しかし、人間、脅されるだけではやってられない。そこに派生したのが、マリア様やお地蔵様など、ご本尊のワキを固める方々からの癒しである。宗教は、こうやってアメとムチとで人間を正しい道に導く。

 

癒しながら道を示す?WEB占い師は、さしずめ現代のマリア様・お地蔵様役なのか。となれば、人々をムチ打つ万能の神は誰だろう。ひょっとして「AI」か?

 

 

年の初めのブログとて

もう、1月も中盤ではないか。しかも、今年初ブログとはこはいかに。週一回を標榜しつつ、相変わらずのんびりとした更新っぷりである。

 

ブログをサボっている間、(私にしては)大きな買い物をした。ハイブリッド車である。先代が白で、駐車した時の捜索に苦労した経験があるので、白や黒やグレーなどの見つけにくい色は避けたい。さりとて青や赤や黄などの自己主張が強い色は困る、ということで選んだ、渋めの「オリーブグリーン」。

 

納車当日、一目見て驚いた。ひとことで言えば、『カナブン』だ。玉虫色に光り輝いているのである。どこがオリーブじゃ、カタログ作ったやつの色覚は大丈夫か、と某自動車メーカーの社長に声を大にして言いたかった。

 

ただし、あちらは別件で東京で拘留中なので、地方の1ユーザーの声は届くまい。取り換えはできないだろうから、ド派手なこの色に慣れるしかないか。

形容詞的組織文化 2

 

前回「形容詞的組織文化1」の続き。

 

では、形容詞的組織文化とは何か。定義すれば、「会話やメールなど、やりとりの文の述語がだいたい形容詞・形容動詞で終わる組織」である。形容詞的組織文化(略してKTSBとしようか)でよくみられる表現として、いくつか例を挙げてみよう。

 

●「業績がよい」「業績が悪い」  cf.「業績が上がった」「業績が落ちた」

●「仕事が多くなって大変になった」 cf.「仕事の量が増えて、こなしきれない」

●「そこが本当に問題だ」 cf.「問題の本質はそこだ」

●「手が汚い」  cf.「手が汚れている」

●「作業が遅い」 cf「作業が遅れている」

 

さて、印象としてどうか。後者の動詞的な表現に比べると、前者が主観的・感情的に響くことに気付かれたとおもう。

 

ちょっと専門的なことを言えば、形容詞には「属性形容詞」と「感情形容詞」がある。特に「感情形容詞」は、話者の内面から見た景色を表現するのに長けている。裏返せば、客観性が欠如、つまりメタ認知に乏しい伝え方ということになる。そんな表現がデフォルトになっているのが、KTSBなのである。

 

さて、みなさんの組織の述語はどうか。動詞的か、それとも形容詞的か?

 

 

参考文献:辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術(2015)PHP新書 

 

テスト

見出し

こんばんは

びにに

『問わずにはいられない』 編集中記

やれやれ、やっとゴールが見えてきた。

学校でいじめや事故などに遭った、21の被害者家族・遺族の方々が、わが子の思い出、教育現場への怒りや提言をつづった自主出版の文集『問わずにはいられない』が、9月20日頃の出版に向けて、現在編集の佳境を迎えている。報道関係に案内したところ、各紙が競うようにして取り上げてくれた。ありがたいことである。


8/8京都新聞 http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/2015080800003

教育関係者や子どもを持つ家庭の保護者だけでなく、「なぜ組織は隠ぺいするのか」という組織論のエスノメスドロジーとして捉えても興味深いのではないか。

この本を手にとったときは、内容だけでなく、表現・言葉の選び方にも注目してもらいたい。
一生懸命書いたのにもかかわらず、編集者・タハラから、これじゃ伝わらんよ、とやんわりと言われて突っ返され、何度もやり直した方が大半である。過去の過酷な体験に向き合うことが耐えられず、筆を折った方も何人かおられた。

巧みではないかも知れないが、まさに、当事者だけが持つ言葉の迫力がある。ぜひ、ご一読いただきたく。

ご希望の方は  に メールに 件名「問わずにはいられない 希望」⒈お名前  ⒉郵便番号 ⒊住所 ⒋希望冊数 を記載のうえ、toiawase@lc-lab.com まで。10月からAMAZONでも販売予定だが、ギリギリしか印刷しないので、確実に欲しい方はぜひ予約を。

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