2017年

12月

26日

ビール瓶とシャンパンボトル その2

いわゆる「立場主義」を貫くあまり弟子思いの親方に対し、見るも無残な結論を出した相撲界。予想はしていたとはいえ、八百長興行の闇はかくまで根深いものか。気を取り直して、標題のみを注視したい。液体を入れるための収納容器についての表現が、なぜ「瓶」と「ボトル」に分かれるかである。

 

仮説1 洋モノっぽいものは「ボトル」、和っぽいものは「瓶」、

確かに一理ある。ワインボトルにシャンパンボトル。酒瓶、醤油瓶、ビール瓶…あれ?ビールは紀元前4千年の古代メソポタミアが起源→古代エジプト→フランク王国→ドイツで、超・洋モノだぞ。またイタリアのジェノヴァ共和国発祥と言われるウイスキーは?「ウイスキーボトル」と「ウイスキー瓶」で検索したところ、件数はボトル38万>瓶32.5万。かろうじてボトルが瓶を上回った(単純比較はできないが)。この説はちょっと保留の必要がありそうだ。

 

仮説2 中身を含めて丸ごと見ると「ボトル」、容器に注目したら「瓶」、  

スナック(これも昭和の死語か)で「ママ、瓶キープね」というと、リサイクルの一時預かりみたいに聞こえてしまう点からは、この説にもうなずける。日刊スポーツのタイトルも下の通りであった。しかし、TVも含め、報道ではビールは「瓶」シャンパンは「ボトル」が圧勝だった。これをどう説明するか?

 

12/1日刊スポーツ ビール瓶でなくシャンパン瓶、滑った/中間報告要旨

 

仮説3 オサレだと「ボトル」、オジサン文化に属すると「瓶」

昭和以前に広まってオジサンたちに愛され、定着したものが「瓶」。平成以降、カップルや女子会などで横文字文化として定着したのが「ボトル」。これでどや、タハラとしてはこの説をイチオシにしたいが、少し疑念も残る。ワインは「ワインボトル」と表記されるのが常だが、かの有名な初の国産赤玉ポートワインは1907年、つまり明治40年発売である。結局、どうなのだ?!

 

こんなことを「どっちかな~」とあれこれ考察するのは楽しい。でも、相撲界の内紛に対し「どっちが悪いかな~」と行司役を代行するのは時間のムダであろう。これは単なる暴力事件である。法律に軍配を預ければよい。

 

 

2017年

7月

11日

「希望が、ゆきわたる国へ」

言わずと知れた●●党のポスターのキャッチコピーだ。個人的にはこの党に、まったく恨みはない。だから、□□党をツイッターで口汚く批判したとか、都議選で最大与党の〇〇党から恨みを買ったとかの話は、ひとまず置いておこう。

 

私が気になるのは、冒頭見出しにした、このポスターの文言である。果たして、「希望」は、政治によって「国」にあまねく「ゆきわたる(ゆきわたらせる)」ことが可能なのだろうか。この点がどうも、コンセプトとして気持ち悪いのだ。

 

ブリタニカ国際大百科事典を紐解いてみよう。「一般的には、望ましいものを獲得しようとする期待を伴った欲求、あるいはその獲得や出現の期待そのものを意味する。(以下、宗教における希望のことを述べているので略。)」。

 

希望とは、1「欲しい」と思うものが現れる→2「欲しい」という欲求を自覚する→3それを獲得しようとがんばる、というメカニズムなのだ。この定義に沿って考えた場合、やっぱり意味上の主語を「●●党による政治」にするのは難しいんじゃないか。

 

1については、100歩譲って、政治が経済の活性化などによって、人民に最大公約数的な「欲しい」ものを提供することが可能であるとしよう。しかし、「欲しい」と感じるのも獲得のため努力するのも、しょせんは個人のマターである。

 

つまり、各人が何かを獲得するためにもがくプロセスそのものが、「希望」なのだ。お上が、他人が、これを操作できるというのは、考え違いも甚だしい。希望は、選挙公約のようにばらまけるものではないんだよ。 

 

2017年

2月

28日

書き言葉と話し言葉

文章構成に関するコラムを書こうかと思ったが、忙しいのと面白いネタを見つけたのでこっちにしよう。

 

社員を社内報で「馬鹿」「アホ共よ」  かっぱ寿司のコロワイド「会長独特の言い回し」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170227-00000007-jct-soci

 

ネット記事の一部をコピペする。

「私が嫌いで、嫌悪感すら感じるのだろう。そのアホが、何故会社にいる? 辞めて転職したらいいのに」「生殺与奪の権は、私が握っている。さあ、今後どうする。どう生きて行くアホ共よ」。

といった具合だ

 

『生殺与奪の権を握っているのは私』というワードそのものの是非は、「総合労働相談コーナー」のパワハラ担当に問題を預けよう。しかし文の全体的なトーンをみると、この御仁(と側近ら)はそもそも、話し言葉と書き言葉との役割が全く理解できていない様子がうかがえる。

 

話し言葉は、「場」と不可分のものである。つまり、話し手の声の調子、聞き手は多数か少数か、両者の関係性はなど、文字ヅラよりもそれ以外の情報が意味を決する。データ量は、常に音声データ>テキストデータということを思い出してほしい。対面コミュニケーションであればなおさらだ。画像データとして相手を圧するので、言外の意味がメッセージの意味を決定する。

 

つまり、悪気はないよ、キミを発奮させるために言ってるんだぜ、という「想い」が伝わっていれば、乱暴な表現でも受け入れてもらえるのだ。

 

それに対し、書き言葉は純粋テキストデータである。かつその場で訂正や補足説明ができない。ヒエログリフしかり楔形文字しかり、古(いにしえ)より、時と場所を超えひとり歩きさせることを前提に成立したからだ。粗い言葉を(にしても度を越しているが)ひとり歩きさせれば、それはただの暴言となってしまう。

 

ご本人をはじめその側近らも、まさか社内報が外部に流出し万人の目に触れようとはおもっていなかったろう。が、書き言葉である以上、そのリスクはある。その認識の甘さが「会長独特の言い回し」に透けてみえる。

 

ちなみに、私見だがSNSやメールで使う言語は、話し言葉に近い。読み手との双方向性を前提し、かつ即時性が高いからだ。書き込みなどがやたら長い=一方的に長話されているように感じられるのはそのためだ。だから1回の書き込み量を少なくする、1文も短めに40字までにまとめるのがベターだ。覚えておこう。

 

 

2017年

1月

30日

「させていただく」考

かつて「ポテトはよろしかったでしょうか」が、接客マニュアル敬語の代表格としてヤリ玉に挙げられたことがある。なぜいかがですかと言えない、間違った表現だという非難の声が世に満ち満ちたことは記憶に新しい(でもないか)。ただし、どうしてそれが不快なのかという冷静な議論は、俎上に乗らなかったように思う。

 

ここで改めてまとめてみる。「××は(〇〇で)よろしかったでしょうか」は「よろしかった」という過去形にポイントがある。店側の意向を断定して客に押し付けていることになるからだ。だから聞いた瞬間、客は「××ぐらいフツウ頼むやろ」「〇〇以外の選択肢はないんやけど」と言われたように錯覚、とカチンと来る。言語学でいうところのFACEの大侵害である。

 

そう、敬語が厄介なのは、相手の理性ではなく、感情に障るからなのだ。

 

「させていただく」でちらほら聞かれる不快感も、「感情」に由来する。この語については、実は2007年、政府の文化審議会『敬語の指針』よりわざわざ見解が出されている。それによると、

 

'ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い,イ)そのことで恩恵を 受けるという事実や気持ちのある場合に使われる。したがって,ア) ,イ)の条件を どの程度満たすかによって 「発表させていただく」など 「…(さ)せていただく」を 用いた表現には,適切な場合と,余り適切だとは言えない場合とがある'

 

ちょっとわかりづらい文章だ。つまり翻訳すれば「『もったいなくも畏(かしこ)くも、こんな私がありがたや』が相手に素直に通じない状況では、ウザイと感じられるかもよ」。

 

「〇〇と入籍させていただきました」なんていうタレントの会見はウザイ典型例だろう。婚姻の自由は憲法24条で保障されている。誰に遠慮する義務もないので、敬語の対象となる相手は存在しないはずだ。ここは独裁国家か、とツッコミを入れたくなる。

 

ちなみに、再現可能で、さらっと聞き流してもらえない書き言葉はよりツッコまれる危険が大きい。慇懃無礼(=丁寧すぎてかえって失礼に聞こえること)の言葉にもあるとおり、過ぎたるはなお及ばざるがごとし。コトバ力を磨き、等身大の表現を選ぼう。

 

平成19年文化審議会答申 『敬語の指針』 

http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/sokai/sokai_6/pdf/keigo_tousin.pdf

 

 

2017年

1月

16日

年の初めのいつもの誓い

松の内をすぎたが初ブログ。あけましておめでとうございます。

 

まずは昨年、そんなに長くもないブログなのに隔週・隔月になってしまっていることの反省から、今年は(初出の先週はサボったが)「毎週コラムを書く」をマニフェストに掲げたい。先日、尊敬するO先生との会話からあらためておもった。というのは、ある教養豊かな知人のSNS記事が、最近、リツイートとシェア記事に占有されていると嘆いておられたからだ。

 

気持ちはわかる、たがそれは「感じて」いるだけだ。そうした感情の断片を自分というプラットフォームで練り上げ、言葉として押し出してはじめて「思考する」だ。そうした作業を経て、やっと他人の考えが自分の血肉に収まるのだ、あれは思考力が衰えていることのあかしだ、と。食べ物は、咀嚼し体に取り込んではじめて栄養分になる。同様に、見て「いいね!」ばかりでは、ハラの足しにはならない。それを聞いて、拙くても自分の言葉で語りかけようと内心で固く誓った。

 

しかしながら冒頭、「マニフェスト」という単語を使った時点で、もはや本気かどうかわからん感が漂ってしまった。なんとも不透明な新年の誓いである。とにかく、今年もヨロシク!

2016年

11月

28日

成長という名の病(やまい)

あえて言う。私は成長という言葉が昔から嫌いだ。その程度を関西風に言えば「ゲェが出るぐらい」嫌いである。就活生が、「御社で成長したいです」なんてエントリーシートに書くと、即赤ペンで削除する。「当社では成長できます」なんてうたったパンフレットを持参して相談に来ると、「無理に行くとこやない」と断言する。

 

なぜか。

 

ひとつは、言葉の使い方として間違えているからだ。通常の場合の「成長する」は、身長が伸びることを指す。また評価としての「成長する」は、自分に対して使える言葉ではない。よって、第三者から「アイツは成長したなあ」と言われる用例以外は、辞書的に誤りだ。年若い学生ならともかく、法人なんかが公然と使うと常識の程度が疑われるぞ。

 

なに?「言葉は世につれ時代につれ変わる。辞書が正しいとは限らない」とな?

それでも嫌いだ。

 

百歩譲ってそういう用例が世間に定着しているとしよう。しかし「成長する」は、「どんな/何の」という文の要素なしには使えない。「アイツは成長したなぁ」は、評価する側と評価される側が共通の文脈理解を持っている(今まで歯が立たなかったタスクを一人でやり遂げたとか)から、成立するのだ。どんな点が成長したのかという点を明示せずして、この用法は成り立たない。

 

「いや、人として成長するという意味だ。わかってないのはお前だけ、世間では通る」と?

理解できてなくて大いに結構だ。

 

「人として成長する」という現象が仮にあったとしよう。しかし、人間とは千差万別である。命じられたことをそつなくこなすのが得意な人もいるし、不器用ながらも創意工夫に秀でた人もいる。結局、どの部分がどうなる状態を意味するのか?それを「成長」と十把ひとからげに表現するのは乱暴だし、相手に失礼だろう。仮に、これを他の言語に訳そうとしてごらん。とうてい不可能だ。

 

というわけで、超ハイコンテキスト言語「成長」は、ついみんなが分かったつもりになる、実体のないマジックワードと私は考え、使うのを避けている。ちなみに、この語を多用する会社は、いわゆるブラック企業が多いよ。みなさん、気を付けよう。

 

 

2016年

8月

15日

SMAP解散

今回の騒動で記憶からよみがえった、ちょっと前の思い出話を以下に。

 

「SMAPについて、記事書いてもらってもいいですかぁ?」と、あるライターが、とあるメディアから依頼を受けた。だが実はSMAPについての予備知識をあまり持っていなかった。さて、彼女は、SPAMをテーマに記事を書くことができるのだろうか?

 

答えはYES。そんな人でもカネをもらえるレベルの仕事をすることは可能である。

 

大半の人は、デビューはいつで、どんなヒット曲があってどんなTV番組に出たのか…とまずWikiにアクセスして急いで調べ、それを情報をもとに、SMAPの歴史を書き綴っていくだろう。ところが彼女は「なぜ自分はSMAPに興味がないのか」という観点で切り込んだ。自分が思春期だった昭和と、大人になってからの平成という時代を比較しながら、みごと変形A4版約6枚の原稿を乗り切った。読者対象は同じ世代だ。きっと、共感する部分も多かっただろう。

 

読み手は何を求めているか。SMAPに関する情報はSMAP自身が発信した情報も含め、今や誰でも簡単にアクセスすることができる。よほどの目新しい情報でもない限り、興味を引くことはできない。とすれば切り口を変えて、その書き手でしか言えないことをを語るしかない。

 

新情報を提供できない場合は、新しいものの見方を提案する。これがセオリーだ。

 

2015年

4月

13日

パンフだからといってだまされないで

はい、このパンフでおかしな点があります。なーんだ。というクイズ。

そう、言葉に敏感なあなたは気付きましたね。詐欺とは『他人をだまして、金品を奪ったり損害を与えたりすること。「―にあう」「寸借―」「振り込め―」 』。つまり、詐欺にだまされないで!は「 他人をだますことにだまされないで 」であり、本来の意味をなさない。「馬から落馬」「いにしえの昔」と同類の言葉の共喰いである


なに、人の揚げ足ばかりとるな?いやいや、こうした違和感、逆に自分が共感したことの正体について考察を巡らしてこそ、言葉のセンスが磨かれ、語彙が豊かに養われていくのだ。オシャレのセンスの優れた人が、他人の着こなしに敏感であるように。まずアンテナを立てること、そしてアンテナに触ったことについてじっくり観察、検証することが重要だ。

それにしてもこのパンフ、去年から全国のゆうちょATMの横に置いてあるらしいが…制作者も、発注者も、現場の各局員も、「これ、言葉遣い変じゃないですか」と言わないのだろうか。メジャーな機関から発刊されたパンフだからといって、その点だまされちゃいかんよ。

2014年

8月

18日

様と殿

今回は2年ほど前に書いたコラムの再掲載。何も書かないよりゃまし、程度の夏休み手抜きバージョンだ。でも研修でもっともよく質問を受けるのはこの「殿と様との使い分け(↓)」だぞ(と言い訳)。

 

「人の名前の後ろにつけるのは、『様』と『殿』とどっちがいいんですか?」。私の答えは、いつも「どちらでも大差ないですよ。職場の慣習に倣ってください」。ただ、そう言うと、ときどき不服そうな顔をする人がいる。おそらく、どっちが正しいのか、専門家のお墨付きをもらって職場に帰りたいのだろう。でも、格式上の差異は今はない。ただ私個人の好みからすれば、「様」だ。氏名の後ろにつけるのには、やわらかくていい。

 

じゃあそもそも、「様」「殿」の由来は何か。 古来、エライ人の名を直接呼ぶことはタブーだった。そこで名指しの非礼を避ける工夫、すなわち敬称が生まれた。「様」がその際採用されたのは、「~のようなもの」という意味の「ぼかし機能」を持つからだ。つまり「田原様」=「田原のようなもの」。現代人の感覚からすれば、そっちの方が失礼なような気もする。

 

ではに「殿」はどうか。「御殿」という言葉から察しがつくように「居住するところ」という意味を持つ。「田原殿」は「田原が住んでいるところ」で、これも人そのものではなく、ところを指すことにより、礼を失する危険を回避するということだ。なんともまどろこしい話である。

 

ちなみに、「御待史」という敬称はご存じだろうか?「知っている」というあなたはおそらく医療関係者だろう。これは「お側についている侍者の方」という意味だ。貴いあなたに直接手紙を差し上げるなんて恐れ多い、というスタンスだ。「神経内科 ○○先生御侍史」など、医者あての書状でよく見かける敬称である。

2013年

10月

14日

いざ、死後の世界へ2 に~へ

げげっ(これを可愛く言うと‘じぇじぇ’になるんだろうか)、前回の更新から1週間以上空いてしまった。なんということだ!まさに光陰矢の如し、朝に紅顔ありて、夕には白骨となる身となれり。

 

 

ニャンニャンする [動サ変]《隠語》性的に交わること。交接、交合。

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2013年

10月

03日

いざ、死語の世界へ1 い~は 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり-言葉は世に連れ人につれ、あれほど流行ったコトバでも、盛者必衰の理どおり、儚(はかな)きことこそあわれなれ。彼岸のかなたに去りし語よ、帰去来兮(帰りなんいざ)-このコーナーへ。

 

イカす [動サ五]《「行かす」から》しゃれている。あかぬけして見える。「ちょっと―・したデザイン」

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2013年

6月

20日

山本五十六はお好き?

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」-管理職研修の感想文やら昇格論文なんかを見ていると、毎回どこかで誰かが引用している山本五十六の名言である。言葉自体は悪くないが、言ったのが山本五十六、というのがひっかかる。

 

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2013年

3月

28日

「コミュニケーション」って何?

今、添削業務でかなり忙しい。エントリーシート添削、研修の事後・事前課題のチェック、社会人の飛び込み添削依頼など落ち着かない。その中で毎日のように出くわすのが「コミュニケーション」という言葉だ。私の自慢は部活で養ったコミュニケーション能力です、若手へのコミュニケーションを図る、部署間のコミュニケーション不足によりミスが発生・・・など、枚挙に暇がない。

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2013年

3月

14日

ヘタな文章の見分け方

なかなか刺激的なタイトルである。実は、文章の腕前を見分けるのは結構簡単で、文字を目で追っていく必要はない。書かれたものをパッと見たらすぐわかる。

 

コツはカンタン。重複表現の多さだ。

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2013年

1月

21日

論文試験 負のスパイラル

息子のセンター試験が昨日終わった。大失敗だったという。特に数学は、今までと全く違う傾向で、多少の思考の柔軟性を要する問題が一問目からでたため、頭がパ二クってしまったらしい。    

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